KE$HAは生まれながらのロックスターだ。アクセル・ローズのような恰好をしてニューヨーク・ドールズのように過剰に個性を意識したディスコ・クイーン。低俗なラジカセ・ビートに古着屋で買ったぼろ服と、ブラックならぬブリーチしたサバス・ヘアーでポップ系ラジオに君臨する。KE$HAの恰好や話し方を真似して、KE$HAのようにどんちゃん騒ぎし、KE$HAのマネをして世の中をこっぴどく非難するケバい嬢たちがいらっしゃるのは皆さんご存じのとおりだ。だが、こんなケバい嬢たちが大物ポップスターらと盛り上がるのを見ることはまずない。KE$HAがヒットチャートに登場すると、そのほか諸々はすべて教会で見かける保守的なオバサンのようにさえ見えてしまう。

この3年間で、今世紀最も輝かしいラジオのヒット曲のうち6曲ほどがドル・マークでお馴染みのK様の曲となってしまった。全曲がおよそ同じに聴こえるし、全曲聴く者がKE$HAになりきれない自分をひどく後悔するほどにまで「KE$HA型人生観」を打ち出している。「ティック・トック」から「ブロウ」、さらには「ウィー・アー・フー・ウィー・アー」にいたるまで、ヒット曲の各々がアニメのグラム・ディスコ少女の成功物語を描いたメロドラマのエピソードのようだ。とてつもなく幅広く包括的なポップ・トラッシュ構想である。KE$HA の功績は大きい。

KE$HAは『ウォーリア』を自らのロック・マニフェストとして作り上げた。曲の中で“私は自分がパーフェクトじゃないってわかってる、問題だらけなのもわかってる、みだらな過去があるのもわかってる、そう、刻み込まれた悪のタトゥー”と自ら告白している。「ラスト・グッバイ」は ニール・ヤングの感慨深い曲「フォー・ザ・ターンスタイル」からヒントを得たものだそうだ。また、シングル「ダイ・ヤング」は、プロデューサーのベニー・ブランコによると「昔のヒッピー・ロック」のKE$HA版とのことだが、我々の耳にはなんだかタイオ・クルーズそっくりに聞こえることを考えると、ヒッピー・ロックというのは奇妙だ。

『ウォーリア』は2010年の『アニマル』の栄光の域には達していないものの、奇抜な感覚でロック史を取り入れている。「ラヴ・イントゥ・ザ・ライト」は「夜の囁き」(心配無用、1分もすればドラム・ソロがあるから)の頃のフィル・コリンズのプログレッシブ・ソウルをパクっているし、「オンリー・ワナ・ダンス・ウィズ・ユー」は、滑稽なくらい意地の悪い(そして正確な)ザ・ストロークスのパロディになっている。イギー・ポップ本人を「ダーティー・ラヴ」にフィーチャしているところなど、KE$HAの人生への意欲は疑う余地もない。

そうそう、KE$HAがロックできない時があるなら、それは繊細でスピリチュアルになって過去の人生を歌ったアコースティック・バラードをやり始めた時だ。実は『ウォーリア』の中でこうした曲調なのは三分の一ほどだけなので、2012年におけるKE$HA有言実行をおびやかす一大危機は今のところ辛うじて回避されていると言えるだろう。KE$HAが宙を舞うのを聴きたい気分なら、「パスト・ライヴス」に酔いしれるのもいい。彼女の声はまるで映画『ズーランダー』のオーウェン・ウィルソンがドラッグをやって幻覚の世界でクモザルと戯れているようにも聞こえる。だがバラードはやめたほうがいいだろう。「カモン」「シンキング・オブ・ユー」「クレイジー・キッズ」といったダンスフロアでワイワイ&キャーキャー歌う曲のほうがよりKE$HAらしいからだ。

有言実行を売り物にした最もハードなロックが「ゴールド・トランズ・アム」だ。この曲はせいぜい10分くらいで書いてしまったのだろう。繊細な詩などまったくない、ただのデフ・レパード風ラップ・メタルで、内容は “サクッとどう、ジャンクなセックス・タイム、乗れよ、すっげえキンキラのトランザム”という具合だ。それに、まるで「C.C.デヴィル(ポイズンのリード・ギタリスト)と連絡取れず」とクレイグズリスト(アメリカの無料広告掲示板)に広告を出して最初に返信してきた男から採用したかのようなギター・ソロ。自らのサイコーに天然でチープでダサいアイデアがベストだと発見した最初のロックスターがKE$HAであるとはおよそ言い難い。だからこそKE$HAが真のロックの申し子だと言えるのである。

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