煙たい男たち|Case15 志磨遼平

By RollingStone Japan 編集部
やりたい音楽を奏で続けるために、ひとりになることを選んだ志磨遼平。
紆余曲折を経ながらも一途に夢を追い続ける男の素顔とは。


背が高く、美形。モデルのようでもありながら、どこか影があるこの男には「美」というよりも「怪」という字が似合う。志磨が音楽のメジャーシーンに躍り出たのは2010年。毛皮のマリーズのフロントマンとしてだ。バンド名の由来は寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』。ここに、怪しげな雰囲気を醸し出す志磨の生い立ちを垣間見ることができる。

子供の頃から寺山修司の作品に触れていた。寺山が監修を手がけた浅川マキのファースト・アルバム、『浅川マキの世界』を母親が聴いていたことがきっかけだ。同じく母親が聴いていたザ・ビートルズの影響も受けた。ただ、その頃は音楽家になりたいという思いは芽生えず、父親から夢野久作の小説を与えられて読んだり、楳図かずおの漫画を母親にねだったり、ディープな文学や芸術に興味を持っていた。

もともと、同世代が触れていたメインストリームからは外れた表現への欲求があったという。それが両親の影響で助長され、思春期の頃からアンダーグラウンドな文学作品や漫画、そして映画に没頭していった。自身で文章を書いたり絵を描いたりすることも得意だった彼は、クラスで注目の的となっていったそうだ。作家や画家、あるいは漫画家になることは考えなかったのだろうか。

「ザ・ビートルズみたいな、ヒーローのような存在になりたかった。文学や漫画より、直接的に人を煽動できる音楽というものに惹かれたんです」。ただ、自身に音楽の才能があると思っていたわけではなかったという。音楽の成績は良くなかったし、特に楽器が弾けるわけでもなかった。「僕の場合、天啓にうたれたみたいに、急に曲が書けるようになったんです。奇跡みたいなもの。それがコンスタントに起こり続けているというだけなんです。だから、ある時急に書けなくなったら〝やっぱりな〟と思うでしょうね。優れた文学作品や音楽に触れてきたし、良い映画もたくさん観てきた。僕が音楽をやるための素養は、そんな頼りない経験しかないんです」。それでも、志磨は音楽の道を志した。あえて、才能を自覚していた絵や文章などの分野ではなく、未知数であっても、「なりたい」と思ったものを選ぶことにしたのだ。

TOPICS

RECOMMENDED