煙たい男たち|Case16 北方謙三

By RollingStone Japan 編集部
鋭い眼光を持つ作家・北方謙三。
豊富な人生経験が刻まれたその顔つきには、葉巻が実によく似合う。


作家・北方謙三。その存在をはっきりと知ったのは今から30年ほど前のことだ。僕が中学生の頃、北方は、今や伝説となっている「試みの地平線」を連載していた。雑誌『ホットドッグ・プレス』での読者のお悩み相談コーナーだ。人気ハードボイルド作家として飛ぶ鳥を落とす勢いの北方が、若者の悩みに答える。彼の答えは、世の退屈な大人たちからは決して聞くことのできないもので、毎回夢中になって読んでいた。例えば、童貞の男からの恋愛相談に、北方は「まずはソープに行け!」と、アドバイス。あるいは、彼女が3人いて、どうしたらいいかわからないという相談には「3人とうまくやれ!」と言い切る。北方の言葉にはどんな悩みも小さく思える、そんな力があった。

その連載をしていた頃、北方はすでに人気作家だった。だが、作家として食えるようになるまでには相当の苦労があったという。北方が文章を書こうと思ったのは18歳の頃。きっかけは、結核を煩ったことにある。隔離生活を余議なくされた北方は、行きたかった大学を受験させてもらえなかった。闘病生活は孤独極まりなく、必然的に“自分とは何か?”という問いと向き合うことになる。そして、文章を書き始めたのだ。だから、初めて書いた文章も自身の存在についてを問うもの。その後、大学を受験して、中央大学法学部に入学するが、時代は学生運動華やかなりし頃。当然、北方も全共闘運動に没頭した。何度も逮捕されたらしい。火炎瓶を交番に投げ込んだこともあるという。ただ、その時はまず警察官を避難させた。人を殺すことは頭になかったのだ。「結局、学生運動が成功しなかったのは、人を殺す覚悟がなかったから。つまり“ごっこ”だったんだよ」

学生運動は敗北に終わったが、それでも北方の熱が冷めることはなかった。しかし、周りは違った。一度は群れをなし、法律を破るところまでいったのに、運動が終焉してみればみんなどんどん冷めていく。変わらない想いでいるのは、北方だけになっていた。その現実を前に、「結局、一人で何ができるんだろう?」と、またもや自分と向き合うことになる。そんな折、小説『明るい街へ』が雑誌に発表され、純文学の旗手として注目を浴びた。続いて発表した『街の底』では、大江健三郎以来の天才学生作家ともてはやされるまでに。ところが、その後は、いくら書いても作品が掲載されない。ボツになった原稿の量は、自分の身の丈ほどまで積み上がったという。「そのことが辛いとは思わなかったよ。だって、青春とは、何かを成し遂げることではないから。どれだけバカになるか、それが青春だからね」と、振り返る。

ボツの原稿に囲まれながら小説と向き合っているうちに、やがて北方はあることに気づく。小説を書き始めた頃は、自分の周りの人にだけ伝えればいいという気持ちで書いていたから、当然そこには普遍性などないし、そんなことは意識もしていなかった。しかし、不特定の人に向けて書くことを意識するようになり、顔も見えない、声も聞こえない、ただひとりに表現が向けられたとき、作品の世界はがらりと一変した。物語が生き生きと動き出し、小説に普遍性が帯びてきたのだ。

TOPICS

RECOMMENDED

TREND