煙たい男たち|Case17 松尾スズキ

By RollingStone Japan 編集部
アングラからマスまで幅広く活躍する奇才。
“不条理”を描き続けるその哲学を聞く。


僕は初対面の人と話す時に、松尾スズキは好きか、と聞くことがある。清濁で言えば、濁。薬と毒で言えば、毒。そんな松尾の作品が好きかどうかで、その人の価値観がわかるような気がするからだ。

松尾ワールドに初めて接したのは、1991年のこと。彼が主宰する「大人計画」の舞台、『サエキナイト〜ムーディを探せ〜』だった。芝居のことはチラシで偶然知り、何となく足を運んだのだが、他の小劇団とはまったく異質の匂いを放っていたことを覚えている。「ああ、コントがいっぱいつながった芝居だよね。あの頃は過激なことばっかりやっていた。観客を箱に詰めて、その中に亀を入れたらどんな反応をするかとか。箱に入れた女性の彼氏に、えらく怒られたりもしたね」

大人計画の旗揚げは88年。大学でデザインを学び、一度は就職した松尾が、会社を辞めて立ち上げた劇団だ。「サラリーマンをやってたんだけど、どうにも退屈で。それで辞めてフリーターをやっていた。でも、このままでは野たれ死ぬなぁって。それなら、ダメになる前に大好きなことをやろうと、劇団を立ち上げた。脱サラなんていう良い話じゃなくて、ただ退路を絶っただけ。まあ、『東京で野たれ死ぬのはカッコイイ』という、変な美学が、当時の自分にあったことはあったけど」

当時は、演劇まわりにコネがあったわけでもなく、仲間もいない。雑誌でメンバーを募集して、素人だけで劇団を立ち上げた。もちろん、それからの生活は貧乏のどん底だ。劇団員の親が経営するバーの常連客に頼まれて、会社案内のパンフレットの写真撮影のために、劇団員総出でダミー役をやったりもした。そんな仕事でもあれば良いほうで、他のアルバイトと女からの小遣いで生活する、いわゆるヒモ状態。「お小遣いをいかにパチンコで増やすかに、生活がかかっていた(苦笑)」

学生劇団員としてのバックグラウンドがあるわけもなかった松尾が、不条理でありながら観客を魅了する独特のスタンスを取るようになったのも、「劇団の立ち上げが遅かったから」だそうだ。本人の言葉を借りれば“正規のルートを辿ってきたものに対するアンチテーゼ”。後発だからこそ、どうやって人の気を引くかばかり考えていたらしい。例えば、彼の芸名ひとつ取ってもそう。確かに「松尾スズキ」というのは、何となく気になる名前ではある。ただ、そこに実は意味なんてない。

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