煙たい男たち|Case18 ウエノコウジ

By RollingStone Japan 編集部
伝説を経て、様々なバンドで音を重ねる生粋のロックンローラー。
初期衝動のままロックし続ける男の、変わらぬ情熱を聞く。


痩身でタッパがある身体に、黒のデニムと革ジャン。そして口にするのは煙草と酒。まさにロックンローラーという風貌ゆえか、怖くて近寄りがたいイメージだが、話すと多弁でしかもとても人懐こい。

ウエノコウジは、日本のロックシーンを支えているベーシストのひとりといっても、決して過言ではないだろう。2003年に惜しまれながらも解散した伝説のバンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、ミッシェル)の元メンバーにして、現在は、細美武士率いるthe HIATUSでエレキベースを、勝手にしやがれの武藤昭平と活動する武藤昭平withウエノコウジではアコースティックベースを握る。

ロックに出会ったのは、中学生の時。最初に影響を受けたのが、矢沢永吉率いるキャロルだった。「ルイジアンナ」の出だしをコピーして“ジャジャジャーン”と弾いた瞬間に雷に打たれたそうだ。「昔からシンプルなものが好きなんだよね。ロック、パンク、革ジャン、単車、酒、煙草……。男臭いものだけが好き。ずっと変わんないね」。当時は曲の続きを弾くことすらできなかったが、すぐに周りに“俺はミュージシャンになる”と宣言したという。

その宣言に導かれるように、ウエノの運命は開けていく。故郷の広島を離れ、東京にある明治学院大学に進学し、音楽サークルに加入。別のサークルで活動していたミッシェルと出会う。

プロへの道は険しかった。ライヴをしても客は全然入らない。スタジオに入るお金がいるし、ライヴチケットのノルマもあるので、激貧生活を強いられた。夜は居酒屋で、昼は西麻布にある老舗ケーキ屋で働いた。ケーキ屋とは何とも場違いなような気がするが、ドラムのクハラカズユキも働いていたそうだ。当時はバブルの真っただ中だから、店の前にポルシェが乗りつけるなんていうことは日常茶飯事だった。ウエノはそんな光景を横目に、ひたすら働いて稼いだ金をバンドに注ぎ込んだという。

大好きなバンドは、少しずつだが前進を続けた。最初は平日だけのブッキングだったライヴも、やがてライヴハウスの店長に認められ、週末にも呼ばれるようになった。「土曜日にライヴができるようになったのはうれしかったね。いつまでもダメじゃないんだっていう手応えはあった。相変わらずお客は入らず、貧しかったけど」

長く続く激貧生活のなかで、バンドを辞めてしまおうという思いは一度もよぎらなかったのだろうか。「実は就職の時期に、広告代理店から内定をもらったの。で、内定をもらったその日の夜に、バンドのメンバーと呑みに行って、その時に“やっぱバンドやる”と思ったんだよね」そう思ったのは「“俺を信じてついてくれば大丈夫だから”って言われた」から。ミッシェルのフロントマン、チバユウスケの言葉だ。

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