『オー・マイ・マイ』(1974年)
1974年までにスターは元ビートルズの他の面々とほぼ同じくらいアメリカで成功したソロ・スターとなっていた。8週連続でトップ10ヒットの5位を記録した「オー・マイ・マイ」はピアノにビリー・プレストン、ソウルフルなバックアップ・ヴォーカルにメリー・クレイトンとマーサ・リーヴズを起用した、分かりやすいポップな曲だ。後にアイク&ティナ・ターナーとベット・ミドラーがそれぞれこの曲をカヴァーした。
『オンリー・ユー』(1974年)
レノンはリンゴに、スムースさにおける金字塔ともいえることで人気のあったプラターズによる1956年のバージョンで最もよく知られている、この黄金期のオールディーズをカヴァーしてはどうかと勧めたのだが、曲中での「語り」が素晴らしく間抜けで、バリー・ホワイトの曲でアルバムを録音していればよかったのにと思うほどだ。その頃自分でもオールディーズをいくつかスタジオでデモ録音していたレノンは、アコースティック・ギターとガイド・ヴォーカルを担当し、1998年のレノンのアンソロジー・ボックスに収録された「リンゴ抜き」のバージョンは、後にロックンロールとなって登場した「スタンド・バイ・ミー」のスタイルに酷似している。
『スヌーカルー』(1974年)
この曲は、エルトン・ジョンとバーニー・トーピンによって書かれた、スター自身のマージーサイドでの報われない青春時代へのトリビュートだ。このペアによる1973年に『黄昏のレンガ路』に収録された『こんな僕こそ病気の典型』や『土曜の夜は僕の生きがい』と同様に、『スヌーカルー』もピアノが中心の作品となっている。リンゴは、イングランド北部の労働者階級が住む地区に育ち、ちっぽけな家が解体用の球に叩き壊されるのを経験する中で、法を破り、賭けビリヤードに興じ、女工たちにちょっかいを出し、酒に溺れる母親を見てきたと熱っぽく語っている。この曲は片面に『ノー・ノー・ソング』が収録された両面ヒットで、1975年ビルボードの3位に入った。