キューバは次世代のロック一大市場になり得るか?



こうしたコンサートはかつてのキューバでは想像もできなかったことだ。1964年、フィデル・カストロはビートルズの音楽を島から追放、こうしたバンドは西洋の退廃の象徴だとした。つい最近まで、ロック音楽を聴くには、海賊版を入手するか、マイアミからのラジオの遠い電波をキャッチするしかなかったのだ。2008年には、キューバのパンク・バンド、Porno Para RicardoのGorki Águilaが、カストロをからかった歌詞を歌ったことで"社会的に危険"と見なされ、裁判にかけられている。近日発表の痛々しいドキュメンタリー作品『ハード・ロック・ハヴァナ』で、カストロ政権下でのキャリア年代記が描かれているキューバのメタル・バンド、Zeusのリーダー、Dionisio Arceは、「1979年にパーティでビートルズを聴いていたら、警察がやってきてLPを没収していった」と語っている。「政府はかつて、ミック・ジャガーのまねをしただけで、僕らを投獄しようとしたんだ。それが今では、ミック・ジャガーがビッグ・コンサートをやってくれるんだよ」




しかし、世界の共産主義国家が崩壊してゆくにつれ、キューバはロックに対するスタンスを徐々に緩和させてきた。およそ10年前、オーディオスレイヴはキューバで演奏した初のアメリカのロックバンドとなった。彼らにゴーサインが出たのは、"文化交流"事業の一環であったからで、彼らはキューバでさまざまな史跡を訪れたり、国営ラジオ局に出演したりした。7万人を動員したコンサートに出演したギタリストのトム・モレロは、「こちらが与えたよりもたくさんのものを受け取ったよ」と振り返っている。「人が屋根やバルコニーにぶら下がっていた。目に見える範囲は人だらけだった。その24時間足らず前には、ハヴァナの場末のバーで、何百人かでも集まってくれたらいいかなと思ってフライヤーを配っていたんだよ」

フォークからアフロ・キューバン、メタルにレゲトンまで、キューバ国内の音楽シーンには活気がある。しかしよそ者にとって、この国でコンサートを開催することは大事業になり得る。というのも、人口の大半に可処分所得がほとんどない上、すべての公開コンサートは政府文化省の承認と後援を得なければならず、さらに長年にわたるアメリカによる通商禁止により、機材の調達も困難となっているのだ。今回ストーンズのコンサートをプロモートしたAEG Live社のConcerts West部門の社長、ジョン・メグレンのもとには、この島でコンサートを開催したいというクライアントからの連絡が絶えないという(彼のクライアントには、エルトン・ジョン、セリーヌ・ディオン、ロッド・スチュワートらがいる)。しかし、そんなメグレンも「利益を上げることは非常に難しい。だって、キューバ人の平均所得は週に20ドルなんだ」と認めている。

Translation by Kuniaki Takahashi

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