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プリンスのワイルド伝説12選

JASON HELLER | 2016/05/01 15:00

| Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images |

「俺は、みんなと少しも変わらないんだ」96年、プリンスはこう謙虚に英NME誌に話していた。

しかし残念ながら、世間はそれを認めない。プリンスは、作曲家、ミュージシャン、パフォーマーとして、素晴らしい作品の数々をポップの歴史に深く刻んできた。そしてその輝かしいキャリアを通して、流行に逆らい、伝統を覆し、新しい流行を生み出し、そして決して世間の意見に左右されることなく、その輝く才能を発揮し続けた。その姿は、紫をこよなく愛した自然児といえる。そんなプリンスの人生は、壮大な冒険、実験、失敗、そして時折の(度重なると言うべきかな)奇行という寄り道の連続だった。その一瞬一瞬が、私たちが知るあのプリンス、そして今後も生き続ける彼の音楽を生み出したのだ。ここに、プリンスのステージ上と私生活における、最もワイルドな12の瞬間をまとめて紹介したい。

『アメリカン・バンドスタンド』で司会者の質問に非協力的な返答(1980年1月26日)

プリンスが米テレビ番組『アメリカン・バンドスタンド』に初登場したのは、80年に入ってすぐのことだった。番組内でスタジオの主導権を握るプリンスからは、その先10年の方向性を伺うことができる。当時21歳で無名だったプリンスは、多くを語ろうとしない独特の雰囲気を醸し出し、番組の司会者ディック・クラークに19歳だと嘘をつき、大手レコード会社から受けたレコード契約のオファーを何度も断ってきたと話した。その理由を「自分でプロデュースさせてくれないから」と言ってのけるが、これは自慢話では決してなく、プリンスの本音であった。さらに演奏できる楽器の数を聞かれると、靴を一瞬見つめた後に「1000」と答えてみせた。番組ではゴールドラメのパンツの衣装で飛び跳ねながら、『ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー』と『つれない仕打ち』の印象的な口パクパフォーマンスも披露している。この時、アンドレ・シモンはリック・ジェームスを思わせるファンキーなベースパフォーマンス、デズ・ディッカーソンが“パンクの精神”と呼ばれたシド・ヴィシャスの精神を受け継いだギターパフォーマンスを見せつけている 。プリンスのさまざまな人種とスタイルが混在したバンドは、ディスコ音楽を追いやり、ポップ・ミュージックの未来を切り開くこととなった。

嫌悪感むき出しのストーンズ・ファンに立ち向かう(1981年10月9日)


Photo by Waring Abbott/Michael Ochs Archives/Getty Images


世界的に有名なビッグバンドのコンサートで前座を務めることが、容易いことでないのは当たり前のことだ。しかし81年10月にプリンスが経験した、ザ・ローリング・ストーンズのファンとの対面は、特に厳しいものだった。ラインアップにはヘッドライナーのストーンズはもちろん、他にジョージ・ソログッドとJ.ガイルズ・バンドの名前もあった。しかしその日、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムのステージ上のプリンスは、出演者の中で最も無名だっただけでなく、唯一のスタイリッシュでファンキーな黒人アーティストだったのだ。黒色のビキニ風ブリーフにトレンチコートという衣装でプリンスが登場すると、我慢ならない観客が同性愛を中傷する言葉を叫び、食べ物や瓶を投げ始めた。ストーンズのファンたちは、かつてミック・ジャガーが中性的なスタイルだったことなど完全に忘れていたのだろう。 取り乱したプリンスは、前座2日目のパフォーマンスをドタキャンしようと考えたが、立ち向かうことに決めた。当然、前日と同じことが繰り返されてしまった。しかしプリンスは、この時の観客を含め自分を誤解する人がいるからといって、ポップの世界で影響力ある曲を作ったりパフォーマンスをするという探求を、止めたりしなかった。2006年の英ガーディアン紙の記事には、プリンスの次の言葉が記載されている。「俺の音楽について全てを知っているのは・・・俺だけなんだ」
Translation by Miori Aien

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