ミュージシャンたちの歴史に残る残念なPR戦略・10選

エルヴィス・コステロのCBSに向けたパフォーマンス(1977)

(Photo by Estate Of Keith Morris/Redferns/Getty Images)

エルヴィス・コステロは77年にデビュー・アルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー』をリリースし、自国イギリスでは旋風を起こしたが、アメリカではあまり振るわなかった。そこでコステロは、アメリカのレコード会社の重役の注目を引くために、ロンドンのCBSレコードの会議場の外で、騒々しい路上パフォーマンスを決行。インディー・レーベルのスティッフ・レコードに所属する仲間のアーティストたちは、エルヴィスを支持するプラカードを掲げた。このスタントの直前、スティッフの代表ジェイク・リビエラは、メロディ・メーカー誌に「これからエルヴィスとCBSのヤツらをビビらせに行くんだ」と告げたという。このパフォーマンスで、コステロはCBSの注目を引くことには成功したが、ロンドン警察の厚意により刑務所に送られる事態となった。


イギリス女王の25周年記念に押しかけたセックス・ピストルズ(1977)


76年にBBCのテレビ番組で、放送禁止用語を場当たり的に発してしまい、世間を騒がせたセックス・ピストルズ。しかし、女王エリザベス2世の即位25周年の祝賀が行われた同年の夏、テムズ川の船上にいた彼らは、自分たちがしていることをはっきりと自覚していた。バンドのマネージャー、マルコム・マクラーレンが仕組んだこのスタントで、彼らは当時シングルとして発売された『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を演奏。大音量の冒とく的なパフォーマンスに激怒したロンドン警察は、彼らがチャーターしたボートに踏み込み、マクラーレンをはじめとする多数の乗船者を逮捕した。この致命的な船旅にゲストとして参加していた音楽ジャーナリストのアラン・ジョーンズは、「彼らが『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を演奏した時、ボートが崩壊するような騒ぎだった」と述べた。だが、崩壊へと向かったのは船ではなく彼らの方で、バンドに課せられた禁止令により、イギリス国内でギグを行うことが困難になった。そしてこれが、78年のサンフランシスコ公演でのメルトダウンへとつながるのである。

Translation by Aki Urushihara

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