モハメド・アリがアメリカを変えた4つのこと

Mike Rubin | 2016/06/12 14:00

| 1964年3月、モハメド・アリ(左)とマルコムX(右) (Photo by Bob Gomel/The LIFE Images Collection/Getty Images) |


4.ラップの聖なる父

アリが有名になったのは、サウス・ブロンクスでヒップホップが誕生する10年も前のことなのだが、アリのもっとも定着している、もの言わぬレガシーは、ラップの聖なる父としてのものである。"ルイヴィル・リップ(ルイヴィルの唇)"とも呼ばれるアリは、"ダズンズ"(訳注:ラップ・バトルの原型のようなゲーム)に見られるような、公園や街角で楽しんでいたアフリカ系アメリカ人の伝統的トラッシュトークを、メインストリームに持ち込んだのだった。初期のメディア対応では、アリはフリースタイルの高い技術を駆使、ライムとフローとほら話で衆目を集めようとする姿が見られるが、これはその後、ランDMCやLLクールJといった典型的なオールド・スクールのMCに転じていくことになる。リストン戦の前に、アリがセコンドのバンディーニ・ブラウンと戯れている映像を見てほしい。パブリック・エナミーのチャックDとフレイヴァー・フレイヴをワンパッケージにしたような、まばゆいばかりのフリースピリット、革命的なグリオ(口伝詩人)と偉大なるイタズラっ子ぶりが見て取れるだろう。「この試合を見に来たヤツの中でいったい誰が、黒い衛星の打ち上げを見ることになると思っていただろう。そう、観客は夢にも思っていなかった。試合にカネを賭けた時、まさかソニー(太陽)の皆既日食を拝むことになるとは」

風変わりなポエムを持ち込むことで、アリはもっとも野蛮なこのスポーツに、一抹の品の良さを与えていた。年をとるにつれ、アリは哀愁を感じさせるようになり、韻を踏まない言葉は心に響くエピグラム(警句)の形を取るようになってきた。例えば、「50歳になっても、20歳の時と同じように世界を見ている者は、人生の30年間を無駄にした」などである。ここ30年はパーキンソン病に快活な舌を奪われ、比較的沈黙を保っていたが、それでもアリは未来世代のラッパーたちのパワフルな先達であり、ヒップホップ王国の影の議員でもあり続けた。アリの巨大なエゴは、うぬぼれの塊カニエ・ウェストの前兆だったし、アリのアフリカ中心主義的な意識と身を切るような正直さは、ラキム、ナズ、ジェイ・Z、ケンドリック・ラマーといった現代の詩人を先取りしていた(そしてアリとジョー・フレイジャーとのライバル関係が、希代の大ビーフであることはいうまでもない)。世界に衝撃を与えてから50年以上を経て、恐ろしい戦士の表情の背後に哲学と詩を隠して、アリはヒップホップの中心でいまだに存在感を保っているのだ。
Translation by Kuniaki Takahashi

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