レッチリのフリーが語る、スノーボード事故とバンドの新たな方向性とは

─デンジャー・マウスが(プロデューサーとして)アルバム制作に参加したのは、事故の前のことですか?それとも事故の後で参加することになったのでしょうか?

彼が参加したのは事故の前だけど、それに関して俺たち全員の考え方は違っていたように思う。何をするのが正しい行動なのかとかなり混乱していたんだ。皆あまり自信はなかったけど、やり慣れている方法とは違うプロセスを取ってみたいと思っていた。俺はぬるま湯状態から脱却したい、不安定な状況に身を置いて新しいことをしてみたいと思っていたような気はするけど、ぬるま湯状態からの脱却が正しい方向であるのかどうかは分からなかった。

ブライアン(デンジャー・マウス)は、俺たちにスタジオで作曲させたがったんだ。でも、俺たちがしてきた作曲のやり方は、まず、バンドでリハーサル・スタジオに入っていろいろ作り、すべての曲の考えをまとめて、それから最後の段階でリック(・ルービン)に入ってもらって、できたものを吟味して、曲を整える手助けをしてもらうというものだった。リックは良いところや悪いところを指摘してくれて、とても健全な関係だったよ。だから、スタジオはリハーサル・スタジオで作ったものを録音するだけの場所でしかなかった。



「君たちはこれらの曲を全部作ったんだね。気に入ったのもあるし、気に入らないのもあるけど、君たちには俺と一緒にスタジオで曲を書いてほしい」とブライアンは言っていた。彼はヒップホップ出身だから、こういう曲の作り方をするんだ。ドラムマシンを土台に、ベースやピアノ、ギターとかいろんな音を追加していく感じさ。そういうプロセスを取る考え方が嫌いだったから、そのやり方をするのはかなり気が進まなかったよ。バンドとしての俺たちの力強さやありのままのアイデンティティを失いたくなかったし。皆で演奏して即興で作っていた時は、自然な感じとか熱気や人と人との相互作用が生まれていた。彼がしたがっていたことをやりすぎたら、俺たちの良さが損なわれるんじゃないかと不安だったよ。それに、俺たちが別の方向に進みすぎてしまったら、彼が自分の得意だったことが分からなくなるんじゃないかっていう不安もあった。「くそ、最終的にこういう妥協点で身動きが取れなくなるかも」って俺は思った。

それから、「まあ、いいか。とりあえず始めてみて、最初の1週間で上手くいかなかったら、やめにしよう」って考えた。彼の望むやり方をやってみて、受け入れてみて、どうなるのか確認してみることにしたんだ。俺たちが自分たちらしく、できる限り力強くいられること、そして彼も自分らしさを最大限発揮できることが、俺の一番の望みだった。どっちにとっても新しいことだったはずだからね。でも、これからどうなるのか、初日ではっきり分かったよ。いつもと違う感じで曲を書き始めることができたから、このやり方はすごく良いと思った。とても楽しかったし、そのやり方でレコーディングや作曲をした時、別の方法では得られなかったような奥深さがあることに気づき始めたんだ。

Translation by Shizuka De Luca

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