野田洋次郎が語る「言葉」:今は言葉と向き合うことが喜び

By Ryo Isobe 2016/06月号 P26〜29 |
ローリングストーン日本版2016年6月号掲載(Photography by Taro Mizutani)
ローリングストーン日本版2016年6月号インタヴューアーカイヴ 
特集:言葉 野田洋次郎

野田洋次郎。言葉と切っても切り離せない存在、である。アーティストとして音楽を軸に、俳優から執筆活動まで。自由自在に繰り広げるそのパフォーマンスと感覚を探りながら、小誌の「言葉」という主題をもとに、自らを考察し、次のヴィジョンを見据えた今、彼が己と対峙する「言葉」の価値の源とは。


―"言葉"という言葉を聞いた時に、まず、イメージする言葉は何ですか?

"正直"とか、"誠実"とか・・・ですかね。やっぱり、言葉っていうものはそうあるべきだと思うので。というのも、どこかで恐れているんですよ。言葉を使うことに対して。ちゃんと使わないとヤバいものだっていう認識が根底にある。その一方で、たいしたものじゃないっていう感覚も持っているんですけど。

―言葉にも様々なレベルがありますよね。レベルというのは良い悪いではなくて、例えば、表現で使う言葉と、日常で使う言葉って、全然、意味合いが違うと思うんです。それについては意識しますか?

しますね。そもそも、言葉の成り立ちとして、どこから始まったのかってことを考えるんです。"水を汲んできて"というふうに、要件を伝えるために言葉が生まれてきたのか、それとも、"愛してる"というふうに、自分の内面を伝えるために言葉が生まれてきたのか。


Photography by Taro Mizutani

―「言葉の前に歌があった」というようなことを言う人もいます。泣き声みたいな非言語って、構造的に歌に近くて。赤ん坊にしても、最初は泣くだけだったのが、それが、喃語(なんご)になって、段々と音節に区切られていって、言葉になる。だからこそ、歌は感情に訴えかけるのかもしれませんし、一方で、野田さんの歌詞ってすごく論理的につくられているように思うんです。

最初の話にも繋がるんですが、俺は、基本的に言葉は論理的であるべきだと考えているんです。だけど、それが音楽に乗った時、論理を超越する瞬間がある。歌い出しで言ったことと、真逆のことで歌い終えたとしても説得力を失わなかったり、あるいは、筋が通ったことを言うよりも、意味を何十倍にも深く表現できたりするのは、やはり、音楽だからこそかなって。要するに、俺自身、自分がロジカルな人間だという認識があるし、そこから逃れられない点が弱みだということもわかっているので、音楽の力を借りて、自分が本来持っている言葉からかけ離れたところへ行きたいと思っているのかもしれない。ただ、それが、最近、変わったんです。(RADWIMPSとして)今まで出してきた7枚のアルバムの流れを思い返すと、その変遷が刻まれているような気がして。例えば、5枚目(『アルトコロニーの定理』09年)、6枚目(『絶体絶命』11年)のアルバムなんかは無菌室のような感じがあった。
Styling by Lambda Takahashi; Hair & Make-up by Kenichi Yaguchi; Text by Ryo Isobe; Edit by Hiroshi Kagiyama, Shun Sato

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