ルー・リードやマドンナ、ビースティ・ボーイズなど、80年代を貴重なポートレートで振り返る


(C)Laura Levine

ルー・リードとジョン・ケイル(ニューヨーク、1989年)
当時はそのことに気づかなかったのですが、ルー・リードは人を『テストする』人として有名でした。彼のマネージャーで2番目の妻であるシルヴィア・リードに、ルーとジョンが連名で発表したアルバム『ソングス・フォー・ドレラ』のための撮影を頼まれました。アルバムは、彼らのアンディ・ウォーホルに対する敬意を表すもので、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド以来初の共同作品でした。この写真は、彼らが数十年ぶりに撮影のために一緒にポーズを取った1枚でした。

ルーは最初から、少し偉そうな態度を取りました。私はそれが(間違いなく)何か演技をしているのだと思いました。そのとき、彼は足に大きな黒いギブスをはめていました。撮影を始めながら、私はいつもそうしているように、雰囲気を和ませるために彼とおしゃべりをしようとしました。

私:それでルー、その足はどうしたの?
ルー:(大げさなポーズで)怪我をしたんだよ…フォトグラファーを蹴り飛ばしてね。

私は恐ろしくなって一瞬止まりましたが、その後笑いました。彼は、私がユーモアのわかる人間かどうか試していると気づいたからです(それはかなりウケるものでした)。物事に取り掛かるには時間がかかりましたが、ひとたび彼らに私の『顎の下から懐中電灯をあてた』ポラロイドを見せると、全ては準備完了となりました。彼らは写真をとても喜んでくれて、撮影終了後に私のヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバナナのジャケットのアルバムにサインまでしてくれました。そして、ルーは私の頬にキスしてくれたのです。


(C)Laura Levine

シネイド・オコナー(ニューヨーク、1988年)
アイルランド出身のミュージシャン、シネイド・オコナーが初めてアメリカに来たと聞いて、私は彼女の広報担当に電話をかけ、ポートレート・セッションの依頼をしました。彼女のファースト・アルバムを聴いて、ひどく感動したのです。私は彼女を、驚くべきスタイルを持ち、今まで聴いた中でもっとも素晴らしいシンガーソングライターの1人だと思いました。私は常に、できる限り人為的な装飾の少ない写真を撮りたいと思っていて、このときは、シネイドがいかに恥ずかしがり屋であるかがシンプルかつ力強く伝わるバックショットの撮影がベストだと思いました。

Translation by Yuka Ueki

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