ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実

しかし、これらは全て8月19日のメンフィス入りの前兆でしかなかった。エプスタインがとりわけ恐れていた、唯一のディープサウス(米国南部でもとりわけ保守的な地域)でのコンサートの日だ。彼が恐怖を感じるのには訳があった。「ビートルズがメンフィスに来たら、本当にジョン・レノンを暗殺すると脅迫してきた狂信者がいると聞かされていた」バーロウは、作家のボブ・スピッツにこう語った。ジョン・F・ケネディー大統領の暗殺から、まだ3年も経っていなかった。ライフルを手にした暗殺者を客席の中に潜伏させるという脅迫は、十分に信憑性があった。「米国では常に危険と隣り合わせだ。アメリカ人が銃を持っていることは知っていた」とリンゴは語っている。危険は絵空事ではなかった。ビートルズの航空機の機体からは、複数の銃弾の痕が見つかった。

市長と郡行政委員会は、ビートルズのコンサートを“公式に非難”し、"ビートルズをメンフィスに歓迎しない"と表明することを、全会一致で採択した。エプスタインは、立て続けに行われるコンサートを中止し、危険を回避するよう熱心に働きかけたが、「1か所でも中止するならいっそのこと全部キャンセルした方がいい」とマッカートニーはエプスタインに言った。警戒措置を強化し、コンサートは続けられることになった。

メンフィスへのチャーター機内はいつもより静かで、メンバーは心を落ち着かせようとしていた。状況が違っていれば、自分のヒーローだったエルビス・プレスリーの故郷訪問に、レノンは興奮していただろう。しかし、この日のレノンはしぶい表情で窓の外の地上に目をやり、「あのキリスト教徒たちはここから来ているのか」とマッカートニーにつぶやいた。メンバーの中で普段は最も陽気なマッカートニーも肩をすくめ、恐怖におののく仲間を落ち着かせようと言葉を探した。「君は物議を醸す男だからな」これが精一杯の言葉だった。

メンフィス国際空港に到着した航空機は地上をゆっくり進み、ビートルズを待ち構える群衆から離れ、舗装されていない州兵専用の駐機場に移動した。「最初にジョンを下ろそう。奴らの狙いはジョンだからな」とハリソンが冗談を言った。レノンは笑わず、「僕に(射撃の)標的でも描けばいいのさ」と答えた。80人ほどの警察が警備体制を強化していたが、その場の雰囲気を悪くしていた。「全てが制御され落ち着いていたが、根底には不穏な空気が漂っていた」とバーロウ。おとりのリムジンが先に出発し、ビートルズメンバーは特別に装備されたバスに乗り込み、スナイパーから身を守るため床に身をかがめた。

抗議者たちは、町に続く道路に列を成していた。その中の一人が、マッカートニーに一生のトラウマを残した。「バスを止めたところに小さなブロンドの男の子が居た。11歳か12歳くらいだ。窓の高さにやっと届くほどの背丈で、猛烈に窓を叩きながら厚板ガラス越しに僕に向かって叫んでいた。僕はこう思った。"なんてことだ。一体この子はどのくらい神について知っているんだろう?まだほんの子供じゃないか。教え込まれただけのことかもしれないが、僕らはアンチ・キリストだとか何とかって、この子には刷り込まれている。狂信者の顔をしている!"」



地元のテレビにはもう一人狂信者が映っていた。堂々とした若いKKKメンバーで、ビートルズを公に脅迫した。男は、ビートルズが“イエス・キリストより、もっと優れている”と言ったと主張し、激しく非難した後、KKKの"テロ組織"としての評判を強調した。この男の発言がいよいよ恐ろしいものとなったのは、KKKには常にコンサートを早期に終わらせる"方法と手段"があると断言した時だった。

Translation by Cho Satoko

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