大倉孝二が語る"俺の哲学":「僕らは、笑わせたいのではなく、笑われたいんです。」

By Joe Yokomizo 2016/10月号 P104〜107 |
ローリングストーン日本版10月号/連載 煙たい男たち/大倉孝二 Photographs by Maciej Kucia(AVGVST)
連載 煙たい男たち|Case29 大倉孝二

謙遜でも何でもなく、僕は自分自身の才能に関しては悲観的です

今までの経験上、一線で活躍する役者と面と向かうと、力強い一種異様なオーラと威圧感と繊細さが混ざったような、独特の空気を皆放っているものだ。

煙草はいつから? そんな質問からインタヴューを始めると「なんとなくみんなが吸い出した頃から、気づいたら吸ってましたねー(笑)」と、その佇まいも含め、力強さとは無縁な様子の答えが返ってきた。
男の名前は大倉孝二。ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)率いるナイロン100℃の役者で、小演劇ファンでその存在を知らない人はいない。さらに現在は映画・TVと多方面で活躍していて、お茶の間でもよく知られた存在だ。

筆者が大倉を知ったのは10年以上前の舞台で、そこから何度か彼が出演する舞台を観た。ありていに言うと、決して技巧派の役者ではなく、圧倒的な存在感の役者でもない。だが、彼が舞台に出てくると空気が変わる。空気が張り詰めるというより、空気が緩むのだ。舞台の上の大倉は長身なのにどこか頼りなさげで、その彼にしか出せない空気感がクセになる。では、本人は自分を役者としてどう評価しているのだろうか?「これは謙遜でも何でもなく、僕は自分自身の才能に関しては悲観的です」とさらりと答える。その喋りもどこかひょうきんで場の空気が緩む。それからこう続けた。「だからなるべく自分の映像とかを観ないようにしています。観ると、コイツ下手くそだなぁって恥ずかしくなって演技できなくなっちゃうんで」と、なんだか頼りない。役者というのは巧みに何者かになる生業のはずなのに、舞台で観た大倉と、今目の前にいる大倉は限りなく同じ空気感で、つくづく不思議な役者だと思った。

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