グリーン・デイが語る、復活までの長い道のり:新作『レボリューション・レディオ』制作秘話

「王様にこき使われる奴隷のように感じる時もあるよ」彼はそう話す。「でも俺たち自身が蒔いた種だからな。必要ならノーと答えることもできる」彼はわずかな沈黙を挟み、こう続けた。「正直なところ、あの場で口にしたことは何一つ覚えてないんだよ」

ダーントはアームストロングがステージ上で発した言葉に異論はないとした上でこう話す。「ただ、古くからの友達が堕落していくのを黙って見てはいられなかった。あいつは完全に一線を越えてしまってた。でも自分では気づいてなかったから、俺がはっきり言わないといけなかった。『このままじゃバンドはダメになる。今のお前とは一緒に演奏できない。しっかりしろよ』ってね」アームストロングがリハビリ施設にいる間、ダーントは励ましの手紙を送り続けたという。「この困難に屈すればバンドは終わる。でも俺たちがこの試練を乗り越えて再び一つになることができたら、その時は最強のバンドになれるはずだ」

アームストロングは長年、自主的にアルコールを断つ努力を断続的に続けていたが、2003年に飲酒運転で逮捕された事件が広く報じられた後でさえ、家族や親しい友人たちは彼の状態を深刻に捉えていなかった。グリーン・デイのサイドプロジェクト、フォックスボロー・ホット・タブスが2010年にニューヨークのクラブで行った泥酔ライブについて、古くからのミュージシャン仲間であるジェシー・マリンはこう語っている。「彼はいきなりズボンを脱いで、ステージ上でションベンし始めた。最初はそういうバンドだっていうマニフェストみたいなもんだろうって思った。俺もシラフで同じことをしたことがあるしね。でも今考えれば、あの頃から問題は深刻だったのかもしれない」アームストロングとマリンの2人にとって、浴びるほど酒を飲んで一晩中音楽の話で盛り上がるのは日常茶飯事だった。「リプレイスメンツの『リトル・マスカラ』がクラッシュの『死か栄光か』のパクリかどうか、そういうくだらないことを延々と議論してた」



ロックの殿堂入りを果たした4月に行われたライブでのグリーン・デイ(Photo by Kevin Mazur/WireImage for Rock and Roll Hall of Fame)

『アメリカン・イディオット』のブロードウェイ・ミュージカル化を通じて、アームストロングと親しくなった監督のマイケル・メイヤーはこう話す。「あれほどまともに会話できる酔っ払いには会ったことがないよ。常にというわけではなく、時々やり過ぎてしまうという感じだった。決して酒やドラッグに溺れているという印象は受けなかったよ。でも一線を越えた時の状態は本当に酷かったから、きっと癖になってしまったんだろう」

アームストロング自身が問題の深刻さを自覚するまでに、そう時間はかからなかった。「表面的にはそれまでと変わりなかったかもしれない」彼はそう話す。「でも実際はそうじゃなかった。俺の中の何かが崩壊しつつあった。人として最も基本的な部分がダメになりつつあると感じてた」もしその時に酒を断つことができていなければ、「俺は今ここにいなかったかもしれない」と彼は話す。そして彼はその道を歩まなかったことに、心から感謝しているという。「子供たちがひとり立ちしていくのをちゃんと見届けたいんだ」そう話す彼の息子、ジェイコブはもうすぐ高校を卒業するという。「子供たちには自分の道をまっすぐに進んで欲しい。俺が経験したような暗闇に飲み込まれることなくね」

Translation by Masaaki Yoshida

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