グリーン・デイが語る、復活までの長い道のり:新作『レボリューション・レディオ』制作秘話

人気プロデューサーやポップスターをゲストに迎えて作品を作ろうとするロックバンドを、アームストロングはあざ笑ってみせる。「曲をヒットさせるために外部からゲストを迎えるなんていう考えはないんだ」そう話す彼の皮肉な笑みには、20年以上にわたるキャリアからくる自信が見て取れる。「俺たちにそんなものは必要ないし、ロックバンドならそれが当たり前なんだよ。そんなことをするのは臆病なおまんこ野郎さ」

新作は彼らの故郷であるオークランドに新設されたアームストロングのスタジオ、Otisでレコーディングされた。スタジオの正面玄関の扉にはチャック・ベリーのアルバムのジャケット写真が飾られ、階上にはアームストロングの膨大な7インチレコードのコレクションからなるヴィンテージのジュークボックスが設置されている(リトル・リチャード『キープ・オン・ノッキン』、ザ・フー『エニウェイ、エニハウ、エニホエア』、バズコックス『オーガズム・アディクト』等)。サイドテーブルの上には古いザップ・コミックスも見受けられる。ラウンジの壁には巨大なカリフォルニア州旗が掲げられ、そのすぐ側には1955年にハーレムのアポロシアターで行われたアラン・フリードの『ロックンロール・ハロウィーン・パーティ』のポスターが貼られている。通路に置かれているロッカーは、アームストロングが通った高校に用務員として勤めていた兄が、校舎の建て替え時に引き取ったものだという。「これを目にした時は驚いたよ」そう言って開けたロッカーの中には、1990年3月16日に行われたグリーン・デイのライブのステッカーが貼られていた。

フローリングの床と天井から吊るされた幾つもの電球が目を引く、長方形のレコーディング用スペースは驚くほど小さい(大型スタジオのキッチンにも及ばない広さだ)。バンドは7月にレコーディングを終えたばかりで、スタジオはまだ機材で埋め尽くされていた。アリーナを意識したビッグなドラムサウンドを録るために、彼らは通路とブース横の小さなトイレの中にマイクを立てたという。「そこでクソしてる最中に聞こえてくる俺のドラムの音がバッチリ再現されてるんだ」クールはそう話す。「ドアを開けっぱなしで換気扇も止めた状態のね。マネしないほうがいいよ」


オークランドの新スタジオにて、『レボリューション・レディオ』制作時のダーントとアームストロング(Photo by Chis Dugan)

レコーディングはスムーズに進んだものの、作品を完成させるまでの過程は決して平坦ではなかった。ダーントは7年前に結婚した最愛の妻、ブリトニーが乳がんにかかっていることが発覚し、オフの日でも気が休まることはなかったという。幸いにも「9回におよぶ手術と化学療法やら何やら」が功を奏し、彼女の容体は徐々に回復に向かっているという。ダーントは妻が経験する苦しみを少しでも分かち合おうと自ら髪を剃り、8ヶ月間彼女が治療に専念できるよう、家族全員で南部へと移り住んだ。10歳以下の子供を2人持つ彼にとって、それは苦渋の決断だったという。「誰だっていい親でありたいからな」ダーントは皮肉まじりの笑みを浮かべてそう話す。「彼女は強い女性だ。もし俺が彼女の立場だったら、『俺はもう死ぬんだ』って諦めちまってたと思う」どんなことにも動じない、ベーシストに典型的なパーソナリティの持ち主であるダーントが側にいることは、彼女にとっても心強かったに違いない。

妻の看病に多くの時間を費やしながらも、ダーントは自身のベースプレイの幅を広げようと日々努力を重ねていた。彼はジャズの講師のもとで、スティーヴィー・ワンダーの『愛するデューク』を完全にコピーし、そこからさらに踏み込んで掘り下げたという。しかしアームストロングが新しいアルバムの制作を提案した時、ダーントはまだ準備ができていないと答えた。「キャリアを重ねることで俺が身につけたことのひとつは、タイミングを見極める能力だ」彼はそう話す。「プカプカ浮かんだ泡の中から出てきたばかりで、海賊船に飛び乗れって言われてるようなもんさ。『ダメだ、俺にはもっと時間が必要だ』って、そうはっきり言ったよ。いろんなことを同時に経験していた俺は、気持ちを整理しないといけなかったんだ」

Translation by Masaaki Yoshida

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