ハルク・ホーガンはいかにして究極のアメリカの悪党になったのか

いささかホーガンのことを褒めすぎた。プロレスのことを少しでも知っている人ならご存じの通り、ホーガンは実はそれほどクリエイティヴでもなければ、才能があったわけでもなかった。テレビの黄金時代(今でもそうだということになっているが)を彩った虚構のアンチ・ヒーローたちと同じく、すべては作り物であった。ホーガンとWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション※注2)会長のヴィンス・マクマホンが思いつき、どうにかこうにか作り出したギミックが、驚くほどうまくいったということなのだ。ブロンドヘアーにブロンド口ヒゲの大男の中に何かを見いだしたのはマクマホンであった。父親のヴィンセント・J・マクマホンは、1980年のWWF時代にホーガンが初登場した時には、ホーガンに潜むスター性には気がつかなかった。1984年1月、WWFに復帰して数週間後、実際にはひどい状況なのに誰もが良い気分に浸っていることとされていたロナルド・レーガン時代真っ最中のアメリカで、ハルク・ホーガンはイラン人のアイアン・シークにピンフォール勝ちして世界チャンピオンになった。当時、それはまさに心躍る、とてもわかりやすい出来事だった。ホーガンは巨大な筋肉を身につけ(ペニスですら60センチあるとされた)、ポジティヴなメッセージを振りまいた(祈りをささげ、ヴィタミンを取れ)。ホーガンはビッグイヴェントに登場し、部屋いっぱいのセレブの中でもひときわ目立つことができたし、同時に漫画に登場することもできた。多くの人にとってプロレスはアホらしい見世物かもしれないが、プロレスファンにとってハルク・ホーガンは、アメリカの偉大さを象徴するはずのものだったのだ。"イモータル(不死身)"ことハルク・ホーガンはけしてファンを裏切らない。彼はいつも、正義の側にいた。

そして、それがそうでもなかったのだ。

事は数年前に始まっていたとも言える。1994年、ホーガンは連邦裁判所の証言台に立ち、自分の伝説を作り上げてくれた男、ヴィンス・マクマホンに対抗し、誰もがそうだろうなと思っていたことを認める証言を行った。マクマホンは、自社所属のプロレスラーに、ステロイドを違法に配布していた疑いで起訴されていた。マクマホンは結局無罪となったが、ハルク・ホーガンがさしたる自責の念もないまま、自らのステロイド使用を認め、これは"かなり普通のこと"であると証言したのは、マクマホンが無罪になる前のことだった。"お願いだからそんなことは言わないで"というほどのことでなかったことは確かだ。ハードコアなプロレスファンなら12歳の子どもでも、プロレスラーがどうやってあんなに大きくなっているのか、ひそひそ話は聞いていたからだ。それでもホーガン証言は、我々はがんばりさえすれば、正々堂々とした善人になれる、大きくて強い、まったく特別なアメリカ人になれるのだという話全体がウソであったと認めてしまったのだった。

Translation by Tetsuya Takahashi

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