"パンクロック"という言葉を定義づけたザ・ラモーンズ―その結成から解散まで

By Mikal Gilmore 2016/10月号 P75〜81 |
1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images

バンドの結成と音楽的美学の形成に一役買ったドラムのトミー・ラモーンは、自身の生い立ちや心の傷をあまり語ろうとしなかった。本名タマーシュ・エルディ(のちに英国風にしてトーマス・アーデライ)。1949年1月にハンガリーのブダペストで生まれ、50年代半ばに家族と共にブルックリンへ移住。約束の地への到着は人生の転機となった。「(ハンガリーは)抑圧的な国だった」。『Hey Ho Let's Go:The Story of the Ramones』の著者エヴェレット・トゥルーに、トミーはこう語った。「西側の音楽はあまり耳にしなかった。初期のロックンロールに興奮したのを覚えているよ。まだ小さな子供だったけど、クールな服を着たり、こだわりの靴を履くのが大好きだった」。フォレストヒルズ高校での1年目、トミーはジョン・カミングスと出会った。後のジョニー・ラモーン、48年10月8日生まれの最年長メンバーだ。ジョニーはカリスマ性はありつつも陰気で、尊敬を勝ち取ろうとしていた。ふたりはタンジェリン・パペッツというバンドに加入し、トミーはリードギター、ジョニーはベースを担当。音楽もさることながらカミングスの気性の激しさで地元では有名になった。別のメンバーによると、ある時パペッツが『サティスファクション』を演奏している最中、ジョニーが舞台の袖に立つ学級委員を見つけたことがあったそうだ。「(ジョンは)そいつの所へ駆けていき、ギターネックをタマに突き上げた。そいつにはわざとじゃないって言ってたけど、嫌っていたのはみんな知ってたよ」。またある時にはバンドのリードヴォーカルと喧嘩になり、ボコボコにして他のメンバーにステージから引きずり出された。「みんな、ジョニーが好きだった」とトミーは振り返った。「あの怒りは純粋なものだった」

ジョニーが厳しい人間になったのは、育ちのせいだった。飲んだくれの建設作業員だった父親は、足の親指を骨折していたジョニーに野球の試合でピッチャーをやらせた。「オレが育てたのは―赤んぼか? って」。ジョニーは父親のようなタフガイになり、支配的な態度をとるようになった。自分にぞっとすることもあった。自伝『Commando』で、ジョニーはこう書いている。「悪行と暴行の日々が2年間続いた。オレは四六時中ワルだった」。捨てられていたテレビを、マンションの屋上から通りを歩いている人の側に落としたこともあった。窓からレンガを投げたいと思えば投げ、力づくで人に命令することもあった。ジョニーはこう書いている。「突然、ある日すべてが変わった。オレは20歳だった。近所の通りを歩いていた。(中略)すると声が聞こえた。何だったのか分からないが、神の声だったのかもしれない。(中略)声の主はこう尋ねた。"お前は何をしておるのだ? こんなことをするためにこの世にいるのか?"それで覚醒した。オレは何もかもすぐにやめた。その時はっきりと目覚めたんだ」


Ian Dickson/Redferns

その後しばらくして、クリーニング屋の配達の仕事中にダグ・コルヴィンと出会った。のちのディー・ディーである。彼の自伝『Lobotomy』によると、ディー・ディーの少年時代は地獄のようだった。父親はドイツ駐在の米陸軍曹長で、家族はドイツとアメリカの間を行き来していた。そして母親は「酔っぱらいの変人で、感情に任せて爆発しがちだった」。夫婦喧嘩は激しかった。「両親の人生は完全なカオスだった」とディー・ディーは書いている。「それを全部オレのせいにしていた」。彼は10代前半からクスリをやっていた。「自分の将来が見えなかった。(中略)その頃ビートルズを初めて聴いた。トランジスタラジオを初めて手に入れ、ビートルカットにビートルスーツ。(中略)ロックンロールのおかげで自分らしさを感じられるようになった」。ディー・ディーが15歳の頃、母親が彼と妹を連れて父親の元を離れ、フォレストヒルズへ移り住んだ。「今振り返ってみると、トミー、ジョーイ、ジョニーのラモーンたちに近づいていったのは自然な成り行きだったと思う」と彼は書いている。「ヤツらは近所で明らかに浮いていた。(中略)誰も、オレたちは将来成功しそうだなんて思っていなかった」

しかし、トミーは思っていた。ジョニーとディー・ディーにバンドを組むように促した。レコード・プラントでオーディオエンジニアとして働き、ジミ・ヘンドリックスやジョン・マクラフリンとも仕事をしていた彼は、バンドの音と方向性の確立に協力した。だがジョニーはやりたがらなかった。思考が現実的になっていた彼は「オレは普通でいたいんだ」とトミーに言っていた。それにジョニーはビートルズ、ストーンズ、ヘンドリックス、ドアーズなど、ロックンロールのライヴをたくさん見ていた。特にレッド・ツェッペリンにのめり込んだ。「激しいバンドが好きだった。ヒッピーは大嫌いだった。ラブ&ピースなんてクソは全然好きになれなかった」。そういった他のミュージシャンのようにギターを弾くのは無理だと、ジョニーはトミーに言った。
Translation by Takamune Murase

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