"パンクロック"という言葉を定義づけたザ・ラモーンズ―その結成から解散まで

By Mikal Gilmore 2016/10月号 P75〜81 |
1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images

その後、ジョニーはヴォーカルにデイヴィッド・ヨハンセン、ギターにジョニー・サンダースを擁するニューヨーク・ドールズを見た。ドールズはデヴィッド・ボウイらのグラムロックの流れをくみ、"意味あるノイズは誰にでも出せる"という俗ながら新しい可能性を提示した。「ワオ、これならオレにもできる」とジョニーは思った。「ヤツらは最高だ。演奏はひどいが、とにかく最高だ。これならオレにもできる」。ジョニーはついにトミーの提案を受け入れ、50ドルのモズライト(MC5のフレッド・ソニック・スミスやベンチャーズのメンバーが使っていたのと同じもの)を購入した。結局ディー・ディーがベース、ジョニーがギターを担当することになり、ふたりとトミーの友人だったジェフリー・ハイマンがドラマーとして加わった。

ハイマン、のちのジョーイ・ラモーンは人生を通して苦難を味わった。髪や歯、骨を含んでいる場合もある珍しい腫瘍、奇形種が、生まれつき野球ボールの大きさで脊髄に付着していた。生後数週間で奇形腫の成長は手術によって止められたが、この腫瘍のせいでハイマンは生涯にわたって感染症にかかりがちで、血流が悪かった。思春期に入る頃に両親が離婚。父親のノエル・ハイマンはトラック運送会社、母親のシャーロットはアートギャラリーを経営していた。父親はかんしゃく持ちで、ジョーイが部屋の反対側に投げつけられ、壁が破れたこともある。シャーロットいわく、リベラルなハイマン家は"街のあぶれ者一家"だった。ひょろ長くシャイだったこともあり、ジョーイはいじめに遭った。彼はどこでも、学校へ行く時さえ濃いサングラスをかけていた。「校長室にいることが多くなった」とジョーイはエヴェレット・トゥルーに語った。「周囲になじめず、のけ者にされ、ひとりぼっちだった。(中略)不良連中にいつも蹴られていた。彼らはいつも群れて、クソみたいなチェーンを振り回してオープンカーに乗っていた。そして殺そうとしてくる。ジョニーも(一時)不良みたいだった。ハードガイだったよ」

奇行は10代で始まった。寝つくまでベッドを繰り返し出入りし、夜間に冷蔵庫の食品を全部外に出し、奇行の理由を尋ねられるたびに母親と衝突した。ナイフを突きつけたこともあった。幻聴で人の声が聞こえるようになり、説明しようのない怒りがこみ上げた。72年、自らの意思でセントヴィンセンツ病院に1カ月検査入院した。そこで「脳の損傷は最小限」ながら妄想型統合失調症と診断された。別の精神科医は、母親に「息子さんは植物状態になる可能性が極めて高い」と伝えた。ほどなくして母親は同じマンションのそれまでより小さい部屋に移ったが、ジョーイは連れていなかなった。彼は母親のギャラリーの床で寝るようになった。

しかし、その頃までにジョーイは将来が見えない生活から抜け出し、自分の道を見つけていた。「ボクはロックンロールに救われた」と彼は99年に語っている。こうコメントしたこともある。「ビーチボーイズに夢中になったものだよ。『サーフィンU.S.A.』を聴いていた。でも、衝撃的だったのはビートルズだ。その後、暗黒期の僕を救ってくれたのはストゥージスだった。おかげで攻撃性から抜け出すことができた。ティーンのジョーイはハイハットを借り、ビートルズやゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの曲に合わせて叩いた。その後ジョーイは、はみ出し者に新種のアイデンティティとプライドを与えた、デヴィッド・ボウイの音楽に出会う。そしてバンドを始め、スナイパーというグラムロックグループにリードヴォーカルとして加入。タイトな衣装を仕立てて身にまとい、ジェフ・スターシップを名乗った。74年の初めにディー・ディーにジョニーと作った新しいバンドへ誘われた時点で、ジョーイは既にスナイパーを脱退していた。ジョーイの弟ミッキー・リーの回想録『I Slept With Joey Ramone』によると、ジョニーはジョーイとの初対面で「ぼーっとしたヒッピー」という印象を受けたそうだ。

新しいバンドメイトたちはジョニーのマンションで練習を始めた。そして毎回新しい曲を作ることに決めた。その頃のセッションで、バンド名について話し合った。「ディー・ディーがポール・マッカートニーにちなんで"ザ・ラモーンズ"という案を出したんだ」とトミーはのちに明かした。「マッカートニーはホテルで自分だと気づかれないようにポール・ラモーンという名前で宿泊していた。オレは馬鹿げた名前でいいと思った。ザ・ラモーンズ? ふざけてるよな! オレたちは皆、面白がって自分たちをラモーンズと呼ぶようになった。バンドを作り立ての頃は、よくそういう軽いノリで楽しんでいたよ」
Translation by Takamune Murase

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