"パンクロック"という言葉を定義づけたザ・ラモーンズ―その結成から解散まで

By Mikal Gilmore 2016/10月号 P75〜81 |
1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images

ジャケットにモノクロ写真を使った76年のデビューアルバム『ラモーンズの激情』は、パンクロックを定義した。"パンク"という言葉自体は何年も前から存在していたが、基本的に不快や脅威という意味合いを含んでいた。パンクは臆病者、あるいはチクリ屋、あるいは泣き言をいう悪者だった。時には男の同性愛を表すために使われた。「パンクというのはアナルセックスをする連中のことだとばかり思っていた」とビート・ジェネレーションの作家ウィリアム・バロウズは述べている。75年までに、"パンク"は社会からはみ出した人々のことを歌ったパティ・スミスなど、一部の新興ロックンロール・アーティストを表すようになった。批評家のデイヴ・マーシュとレスター・バングスは、60年代半ばから続くディゾナンス(不協和)とスピリットを表すため、"パンクロック"という言葉を使い始めた。元祖には、レニー・ケイ編纂のコンピレーションアルバム『Nuggets』で取り上げられたアメリカン・ガレージロックバンドなどがいた。そのスピリットはストーンズや初期のキンクスなどのブリティッシュバンドにも感じることができる。60年代の終わりになると、デトロイトのストゥージスとMC5、ニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドがこのディゾナンスを曲的にも詩的にもさらに深めた。しかしラモーンズが出てからは、パンクは美学とサブカルチャーを表すようになった。それは1曲目の『ブリッツクリーグ・バップ』を聴くだけでも分かる。ノイジーなギター、強烈なリズム、せわしないヴォーカルが語るのは、車の後部座席にぎゅうぎゅうに乗り込んだ若者世代の姿だ。彼らの車は、前も後ろもトラブルばかりの道で急カーブに突進していく。

ラモーンズを社会に対する脅威と見る人もいた。ガキどもを殴り、接着剤の匂いをかぎ、敵を背後から撃ち、グリーベレーの男娼が弱虫ではないことを証明すべく悪さを働く歌を歌っていたからだ。「もともとはバブルガム・グループになりたいだけだった」とジョニーは語っている。「ベイ・シティ・ローラーズをライバル視していた。でも、オレたちはあまりにも異様だった。『53rd & 3rd』(男娼の売春スポットとして有名だった場所)はベトナムからの帰還兵が男娼になり、人を殺す歌だ。そういうのを歌うのは普通のことだとオレたちは思っていた」。ナチスをテーマにして問題になったこともあった。「そう、オレは攻撃隊員/そうさオレはナチ野郎/祖国のために戦うぜ」。『トゥモロウ・ザ・ワールド』の初期バージョンで、彼らはこう歌っていた。メルニックによると、この歌詞を聴いたサイアー・レコードのトップ、シーモア・スタインは「それはダメだ」と言った。「ナチスのことを歌うのはダメだ! 私はユダヤ人だし、このレコード会社の人間もみんなユダヤ人だ」。ラモーンズ(4人のうちふたり、ジョーイとトミーはユダヤ人)はある程度まで妥協した。ジョニーはこう語っている。「オリジナルの歌詞に深い意味はまったくなかった。でもオレたちは世間知らずだった。当時もっと大物だったら、メディアはもっと騒いでいただろうね」

大勢のロック批評家がラモーンズを忌み嫌った。アメリカのラジオ局の大半が彼らの曲をかけようとせず(あるDJは「部屋の向こう側まで」アルバムを放り投げたそうだ)、手厳しいレビューでは「トイレを1万回流したようなサウンド」と極めて簡潔に批評された。それでも彼らはくじけなかった。「何があっても倒れないつもりだった」とジョーイは99年、ローリングストーン誌のデヴィッド・フリッケに語っている。「常に何かを投げつけられていた。いつもそんな感じだったよ」

76年のU.K.ツアーまでに、彼らのサウンドとスタイルは広まっていた。ジョニーはイングランドを嫌っていた。特にパンクへの愛情の印としてバンドにつばを吐く観客を毛嫌いしていた。それでも、十分にリハーサルができず緊張していたクラッシュには有名なアドバイスを贈った。「オレたちはメチャクチャだ。うまいプレイなんてできない」とジョニーはジョー・ストラマーに語ったとされている。「うまくプレイできるようになるまで待っていたら、年を取りすぎてもうステージには立てないだろう」。ラモーンズは新しい、俗な美学の基準を作った。「オレたちはロックンロールを救いたかった」とジョニーは『Commando』で書いている。「誰とも対立していなかった。(中略)ラモーンズもセックス・ピストルズもクラッシュも、ビートルズやローリング・ストーンズのようにみんなメジャーグループになると思っていた。その方がいい世界になると思っていた」。のちにジョニーは、セックス・ピストルズの悪行がラモーンズやパンクロックに深刻なダメージを及ぼしたのではないかと懸念した。ピストルズはイギリスのテレビでののしり言葉を発し、78年のアメリカツアーで破滅的なライヴを行い、しまいに自爆した。ベースのシド・ヴィシャスはその後、彼女だったナンシー・スパンゲンの殺害容疑で逮捕された。こういった言動のせいで、パンクは単純に革命的なものではなく、避難されるべきものだという認識が広がりかねなかった。
Translation by Takamune Murase

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