"パンクロック"という言葉を定義づけたザ・ラモーンズ―その結成から解散まで

By Mikal Gilmore 2016/10月号 P75〜81 |
1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images

ある日、スペクターは我慢の限界を超えるところまでジョニーを追い詰めた。『ロックンロール・ハイスクール』の出だしのGメジャーコードを何度も弾かせ、エンジニアが録ったコードを再生すると、「クソっ、ションベン、ファック! クソっ、ションベン、ファック!」と叫びながら足を踏み鳴らしてスタジオ中を歩き回った。そしてジョニーに同じコードをまた弾くように要求した。これが1時間以上続き、ついにジョニーが耐え切れなくなった。彼はギターを置き、もう出ていくと告げた。スペクターはどこへも行くなと命じた。ジョニーはこう返した。「どうするつもりだ、フィル? オレを撃つのか?」。メンバー全員でスペクターと話し合い、これからも同じように癇癪を起こすなら、もう一緒に仕事することはできないと伝えた。「誰もまったく楽しんでいなかった」とジョーイは語った。「ボクらは皆、彼の奇行や激しい感情の起伏、狂気にうんざりしていた」

制作に20万ドルをかけた『センチュリー』はラモーンズの最高傑作になると、スペクターはメンバーに誇らしげに語っていた。しかし実際には、このアルバムでラモーンズの勢いは止まり、彼らの美学は損なわれた。混乱が支配していたサウンドは、味気ないアレンジで覆われた。チャート上では『センチュリー』は過去最高位をつけ、ビルボードでは44位まで上昇した。だが、ジョニーはこのアルバムを作ったことを後悔した。人生の終わりが近づいた時、彼はエド・スタシアムに『センチュリー』をリミックスして「スペクター色を除いた」サウンドにしてほしいと頼んでいる。「それが彼の最後の願いだった」とスタシアムは明かした。「フィルの作ったものをラモーンズのレコードにする、ということがね」

数十年後、スペクターは2003年にラナ・クラークソンを射殺したとして第二級殺人の有罪判決を下され、現在カリフォルニアで19年の懲役刑に服している。『Commando』で、ジョニーは次のように書いた。「ヤツがその女を撃った後、こう思った。"まったく驚いた。ヤツが毎年誰かを撃っていなかっただなんて"」

ラモーンズが『エンド・オブ・ザ・センチュリー』のレコーディングのためにロサンゼルスを訪れた時、ジョーイは彼女のリンダ・ダニエルを連れてきた。彼の弟ミッキー・リーによると、ジョーイはおそらくラモーンズ全盛の77年にCBGBかマクシズ・カンザス・シティでリンダと出会い、ふたりはロサンゼルスでの『ロックンロール・ハイスクール』の撮影中につき合い始めた。ジョーイは過去に知り合ったどの女性よりもリンダが好きだった。撮影終了後、リンダはバンドのバンに同乗してジョーイと共にツアーを回った。ジョニーは序列をはっきり示そうとした。誰がどこに座るかを決め、ジョーイと一緒にいたリンダに「オマエは後ろに座れ」と命じた。彼女はこう答えた。「ずっとはイヤだわ」。『Commando』で、ジョニーはこう回想している。「この女はいったい何なんだ? このオレに口ごたえしてくるとは。ジョーイは余計なことを言うなと命じたが、彼女は聞く耳を持たなかった。何だか面白いと思ったよ」

当時ジョニーにも彼女がいた。他のメンバーは彼がリンダといちゃついていること、そして時にふたりでふけて密会していることに気づき始めた。マーキーとミッキー・リーは、リンダがジョニーと浮気をしているとジョーイにそれぞれ伝えたが、彼はその話を信じようとしなかった。『Commando』によると、リンダがジョーイの元を去った82年の夏で、間もなくしてジョニーも彼女のロキシーと別れた。ジョニーとリンダはマンハッタンのマンションで一緒に暮らし始めたが、ジョーイに気づかれるとバンドから出ていかれるのではないかとジョニーは心配していた。「ジョーイと仲良くやれたことは一度もない」とジョニーはのちに書いている。「それでもヤツを傷つけたくはなかった。(中略)オレたちはベストを尽くしたが、嘘をつき続けるわけにはいかなかった」

それから数年のうちに、ジョニーとリンダは結婚した。リンダはリンダ・カミングスとなったが、リンダ・ラモーンという通名を使った。ジョーイは彼女のことを完全には忘れられなかった。彼はロマンティックで孤独な執着心を自分の曲の中で深めていき、この失恋から彼の書いた中で屈指の名作をいくつか生んだ。そのひとつが『KKK』(原題は"The KKK Took My Baby Away"=KKKがオレのベイビーを連れ去った)で、この曲はジョニーへの当てつけという見方もあった。のちにジョーイはモジョ誌にこう語っている。「ジョニーは一線を越えてしまった。(中略)まさにそこで、彼はボクらの関係とバンドを壊した」。ジョーイは酒に浸り始め、コカインをやるようになった。
Translation by Takamune Murase

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