"パンクロック"という言葉を定義づけたザ・ラモーンズ―その結成から解散まで

By Mikal Gilmore 2016/10月号 P75〜81 |
1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images

ラモーンズをグループに保っていたものは、ラモーンズをバラバラにしたものでもあった。それはジョーイとジョニーのパートナーシップだ。必要なものだったが、とげとげしい同盟だった。ジョーイはOCD(強迫性障害)に生涯悩まされ、一定の方法で繰り返し物に触れる必要があった。ある時には、バンドがイングランドから戻って来た直後、ある一歩をもう一度たどるためだけに空港へ戻ると言って聞かなかった。病気にかかりやすく、入院しがちだった。ジョニーはそのすべてに耐えられなくなった。「何という病気か知らなかった」とジョニーは認めた。「そういうことを繰り返さなきゃいけないというのは、明らかに何らかの精神病だった。しかし同時に、多くの場合では、ただのわがままだと感じていた。半分の場合で、彼は精神を病んでいた。決まって、そうなるのはツアーに出る前で、アルバムを作り始めた時だった(相手の気持ちを理解できないのはお互いさまだった。83年、ジョニーは元カノのロキシーと一緒にいたミュージシャンと深夜にストリートファイトをして重傷を負い、緊急の脳手術が必要になった。マーキーによると、ジョーイはそれを聞いて大喜びしていた)。

結局、ラモーンズをいつまで続けるかを決めたのはジョニーだった。彼は96年8月6日にハリウッド・パレスで最後のライヴをやることにした。このイベントの前に、ラモーンズはアルゼンチンでのギャラの高い仕事のオファーを受けた。ジョーイ以外は南米へ行くことを望んだ。だがジョーイは健康面で不安があると言った。あと数カ月待てたなら、おそらくジョーイも行く決心をしていたことだろう。だが、他のメンバー、特にジョニーはジョーイの言葉を拒否とみなし、憤慨した。「ジョーイはいつも病気だった」とジョニーは語った。「かかる可能性があると思った病気には、何でもかかっていた」。ハリウッドでのラストライヴで、ラモーンズはかつてないほど優れたパフォーマンスを披露した。特に『ブリッツクリーグ・バップ』は圧巻だった。最後の曲、デイヴ・クラーク・ファイヴの『エニー・ウェイ・ユー・ウォント・イット』をパール・ジャムのエディ・ヴェダーと共に演奏し終えると、メンバーは控え室に戻った。そして各自が衣装と機材をまとめ、バラバラに去っていった。「他の連中に何も声を掛けず、ただ歩いて出て行った―それがオレの生き方なのさ」とジョニーは振り返った。「もちろん、本当は何だか寂しい気分だった。でもそれを認めたくなかった」

ジョーイが南米行きを断ったのには正当な理由があった。94年、彼は骨髄をリンパ腫に侵されたことを知った。主治医には、命に関わる前に処置し、もう治療は必要ないと言われた。しかしメルニックによると、「彼にとってはスタミナを維持することが大変だった。ラモーンズのセットをこなすのは簡単じゃなかった。重いレザージャケットを着てやるんだからなおさらだ。そして、ジョーイが自分の問題を打ち明けられるほどバンドで安らいでいたとは思えない。特にジョニーには」


Ian Dickson/Redferns

97年の冬のある日、ジョーイのカイロプラクターが施術のため彼のマンションへやって来た。しかし反応がないのでドアを開けてみた。「ジョーイが床に横たわっているのを見た」と彼は言う。「口からは血がこぼれていた」。救急隊は、ジョーイは丸1日、ひょっとすると2日間そこで倒れていたと判断した。あと1時間、あるいはもっと短い時間でも発見が遅れれば、彼は死んでいただろう。98年の秋にはリンパ腫が悪化した。医師の指示により、化学療法を受けることになった。調子がいい日は、ソロアルバム(2002年にリリースされた『ドント・ウォーリー・アバウト・ミー』)の制作に取り組んだ。2000年のクリスマスには、"もう数カ月もすれば悪性腫瘍は寛解するかもしれない"と医師が考えるところまで回復した。その年の12月31日の未明、ジョーイはダウンタウンのマンションで声を聞いた。「前日カイロプラクターのオフィスでドアを正しく閉めたか?」という声だった。「彼は行動を繰り返すため、アップタウンのオフィスへと向かった」とミッキー・リーは書いている。「ボタンを押し、ドアノブを回し、今度は正しく閉めることで、声を聞こえなくして新年を迎えたいと彼は思っていた」。ドア閉めの行動を繰り返してみたが、心配は収まらなかった。もう一度オフィスのドアを確認しに行った。雪が積もり、歩道は滑りやすくなっていた。ジョーイは転び、立ち上がれなかった。そこにしばらく倒れていたが、女性の警察官に発見され、救急車を呼んでもらった。ジョーイは転んだ時に尻を骨折し、手術が必要になった。そのためにリンパ腫の治療は一時中断された。その後の数週間、彼の状態は良くならなかった。医師はジョーイの家族に対し、状況は好ましくないと伝えた。
Translation by Takamune Murase

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