ブリティッシュ・インヴェイジョン:ビートルズから始まった英国ミュージシャンのアメリカ制覇

Parke Puterbaugh | 2016/10/01 14:00

| 日本武道館公演時のビートルズ (C)Apple Corps Limited. All Rights Reserved. |


一方、リバプールは推定300組のバンドで溢れかえり、何組かのパフォーマーがビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインのマネージメントで大成功を収めていた。ジェリー&ザ・ペイスメイカーズはさほど有力なロック・バンドではなかったが、『マージー河のフェリーボート』『太陽は涙が嫌い』のようなバラードで手堅い魅力を見せた。65年以降、ジェリーの星は鈍く光っただけだった。しかし、そのヒット曲はよき思い出であり、また、全英チャートに入った(ビートルズに次ぐ)2番目のリバプール発のミュージシャンとしても知られている。


ザ・サーチャーズ Rolls Press/Popperfoto/Getty Images

ビリー・J・クレイマーもまた、エプスタインにマネージメントされたひとりだった。クレイマーと彼のバンド、ザ・ダコタスは、レノン=マッカートニーの未発表曲で有名になり、『バッド・トゥ・ミー』は64年半ば、全米チャートの9位に入った。彼らのほかに、64年の全米チャートで大きな動きを見せたマージー・バンドは、スウィンギング・ブルー・ジーンズ(代表曲は、初期のビートルズのレパートリーだった『ヒッピー・ヒッピー・シェイク』)とサーチャーズくらいのものだった。サーチャーズは、リバプールが輸出したバンドの中でビートルズの次に才能あふれていた。共鳴するハーモニーとメロディックな12弦ギターのサビで、サーチャーズは『恋の特効薬』『ピンと針』などのアメリカの曲を、まったく新しいアレンジでカヴァーした。結果的に一握りのリバプール・バンドが成功を収めたが、ザ・マージービーツ、ザ・モジョ、ジ・エスコーツ、ザ・フォアモスト、ザ・ビッグ・スリー、ジ・アンダーテイカーズといった、才能あるバンドを含む多数のバンドが、混乱の中で方向性を見失った。


ピーター&ゴードン David Redfern/Redferns

リバプールのビリー・J・クレイマーと同様、ピーター(・アッシャー)&ゴードン(・ウォーラー)というロンドンのデュオがビートルズのおこぼれに大いに与った。ピーターの妹、ジェーンが当時ポール・マッカートニーと交際していたため、彼らは未発表のビートルズの曲を手にすることができたのだ。このキュートでお堅い2人組は、ビートルズに続き全米チャート1位を獲得した初のイギリスのミュージシャンとなった。彼らの成功への乗車券は、マッカートニー作による『愛なき世界』だった。『二人だけのパラダイス』『逢いたくないさ』『ウーマン』が続いて同じ"曲の貯蔵庫"から発売され、すべてがトップ20に入った。しかしマッカートニーの手助けなしでも、ピーター&ゴードンは、デル・シャノン作による『アイ・ゴー・トゥ・ピーセス』、ミュージックホール・スタイルの曲『レディ・ゴダイヴァ』をヒットさせた。68年のデュオ解散後、ピーターはビートルズのレーベル、アップル・レコードのプロデューサーになった。アップルでは、ジェイムス・テイラーのデビューアルバムをプロデュースしたが、最も有名なクライアントはリンダ・ロンシュタットで、クラシックなサウンドを70年代風にアレンジした。
Translation by Naoko Nozawa

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