ブリティッシュ・インヴェイジョン:ビートルズから始まった英国ミュージシャンのアメリカ制覇

Parke Puterbaugh | 2016/10/01 14:00

| 日本武道館公演時のビートルズ (C)Apple Corps Limited. All Rights Reserved. |


ロンドンの外の地方都市は、ジ・アニマルズ(ニューカッスル・アポン・タイン出身)、ザ・スペンサー・デイヴィス・グループ、ザ・ムーディー・ブルース(いずれもバーミンガム出身)などのエネルギッシュなバンドをリズム&ブルース・ブームに送り込んだ。そう、ザ・ムーディー・ブルース。65年頃が彼らの全盛期だったと言える。その証拠のひとつが、(後にポール・マッカートニーのバンド、ウイングスに加入する)デニー・レインのすがるようなヴォーカルが耳に残る、ピアノをフィーチャーしたビートの効いたバラード『ゴー・ナウ!』だ。スペンサー・デイヴィス・グループの要は、16歳のリード・ヴォーカルにしてマルチ・プレイヤーのスティーヴ・ウィンウッドだった。彼のソウルフルな歌声は、67年の初めに『アイム・ア・マン』『愛しておくれ』を全米チャートトップ10に送り込み、この後トラフィックのリーダーを経てソロで大成功を収める下地を作った。


ジ・アニマルズ Michael Ochs Archives/Getty Images

荒々しくアーシーなアニマルズのエリック・バードンは、実年齢より何十歳も年季が入って聴こえるパワフルな唸り声で、厳しい時代について歌った。彼はアニマルズのアメリカでのデビュー・アルバムの裏ジャケットで、"黒褐色"を好きな色として挙げている。スタイルの面でアメリカのリズム&ブルース・アーティストたちに恩義を感じているという表明だ。オルガンを担当するアラン・プライスのジャジーなアレンジのおかげもあって、アニマルズは『朝日のあたる家』(ニューオーリンズの娼館を歌った4分強の曲)で、64年9月に全米チャート1位に上り詰めた。精神的にはビートルズよりもストーンズに近いアニマルズは、『朝日のない街』『イッツ・マイ・ライフ』で、時代の悲痛な訴えを発信した。

マンチェスターは、数多のポップ・ヒットメーカーを生み、イギリスの大義に貢献した。ハーマンズ・ハーミッツ、ホリーズ、フレディ&ザ・ドリーマーズ、ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのすべてが全米チャート入りした。元子役で、大きな瞳が愛らしいピーター・ヌーンがリード・ヴォーカルを務めるハーミッツは、ポップでミュージック・ホール風の印象的な曲の数々をマージー・ビートに乗せて送り出した。『ミセス・ブラウンのお嬢さん』が最も有名だが、ほかにも彼らは65年から66年までの間に9曲連続で全米トップ10入りした。これは、ビートルズも成し得なかった偉業だ。

ホリーズは、この時代で最高のヴォーカル・ハーモニーを提供し、多くのイギリスのミュージシャンたちよりも長続きした。72年、『ロング・クール・ウーマン(喪服の女)』で最高のヒットを記録した。フレディ&ザ・ドリーマーズは、ブリティッシュ・インヴェイジョンにおける道化だった。べっ甲メガネのビート族フレディ・ギャリティと横柄で禿げかけたバンド仲間は、手足をパタつかせて暴れまわる、史上最高に滑稽で珍奇なダンス"ザ・フレディ"を考案した。ダンス自体は流行しなかったが、大ヒット曲『好きなんだ』を残した。また、ウェイン・フォンタナ最大のヒット曲は、キャッチーなポップ・ロック『ゲーム・オブ・ラブ』だった。マンチェスターのバンドが3週連続で全米チャート1位を取ったことを、フレッド・ブロンソンは著書『ビルボード年間トップ100ヒッツ』のパート2で"マンチェスターのハットトリック"と呼んでいる。この珍事は、65年4月中旬から5月初旬にかけて、『好きなんだ』『ゲーム・オブ・ラブ』『ミセス・ブラウンのお嬢さん』の順で起きた。
Translation by Naoko Nozawa

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