ブリティッシュ・インヴェイジョン:ビートルズから始まった英国ミュージシャンのアメリカ制覇

それからわずか1カ月後の65年6月18日、ブリティッシュ・インヴェイジョンは頂点を極め、14枚ものイギリス発のレコードが全米トップ40にランクインした。その記録は83年7月16日、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ザ・ポリスが率いる第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが18曲をヒット・チャートに送り込むまで破られなかった。だが皮肉にも、65年夏のその歴史的な週、トップ7はすべてアメリカのミュージシャンが独占した。ハーマンズ・ハーミッツ(『ワンダフル・ワールド』)とビートルズ(『涙の乗車券』)がそれぞれ9位と10位に留まり、ほかのイギリス勢はチャートの中位から下位に散っていた。

一般に理解されている意味でのブリティッシュ・インヴェイジョンは67年までにほぼ自然消滅していたにもかかわらず、ビートルズの全盛期は60年代後半も続いた。誰もが追いつき追い越そうとする目標は、依然としてビートルズだった。が、音楽、聴衆、そしてゲームのルールは著しく変化していた。65年以降、ビートルマニアの熱狂が冷めた理由は、バンドに対する世間の関心が薄れたというよりも、バンド自体が名声を望まなくなったせいだった。ビートルズは『ラバー・ソウル』(65年12月)と『リボルバー』(66年8月)をリリースし、ツアーの中止を決定(66年8月29日のサンフランシスコ公演が最後のライヴとなった)。次の段階へ移行し、自らの内面へと向かった。ビートルズの音楽は"絶叫"ではなく、彼らが聴衆を誘った新たな場所に対する"より成熟した理解"をもって迎えられた。

「まあ、うまくいったんじゃないかな」と、88年のロックの殿堂授賞式でジョージ・ハリスンは、おそろしく控えめな表現でビートルズの10年について言及した。「思ってたよりずっとずっとすごかった」

USローリングストーン誌アーカイヴ
1988年7月14 ‐ 28日号掲載

Translation by Naoko Nozawa

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