80年代D.C.パンクの軌跡を描いたドキュメンタリー『サラダデイズ 』制作秘話

9:30クラブでのライブで、仲間のパンクロッカーたちに囲まれたマイナー・スレットのイアン・マッケイ(1983年)

米国政府のお膝元で誕生した80年代DIYパンクシーン、その軌跡を描くドキュメンタリー映画の制作秘話に迫る。

1984年、ワシントンD.C.郊外に住んでいた当時12歳のスコット・クロフォードは、友人の姉から地元のバンドのレコードを何枚を聴かせてもらったという。猛烈な速さのトラックをバックに、ひたすらシャウトを繰り返すマイナー・スレットとガバメント・イシューというバンドに、パンクと出会ったばかりだったスコットは夢中になった。「周りの連中がハマッているようなものには興味がなかった」クロフォードはそう話す。「でもどういうわけか、僕は彼らの音楽にすっかり魅了されてしまった。ファンジンを読み漁り、持ってるお金は全部レコードにつぎ込んだ。僕は文字どおり、あのシーンの虜だった」

「客の大半は僕の倍ぐらいの背丈だった」そう話すクロフォードは、12歳にして9:30クラブやD.C.スペースといったライブハウスで行われるハードコアのライブに足を運ぶようになった。さらには自身でファンジン『MetroZine』を刊行し、その初号にはディスコード・レコード設立者のひとりであり、シーンの中心人物だったイアン・マッケイのインタビューを掲載した。「ファンジンを作ることで、シーンで活躍するバンドたちを身近に感じられたんだ」彼はそう話す。「12歳の子供にとっては、人生を変えるほどの衝撃だったんだよ」

D.C.ハードコアシーンの全盛期から30年が経った今、クロフォードはシーンを支えたバンドとオーディエンス、そして彼らが育んだユースカルチャーに再び焦点を当ててみせる。彼が監督を務めたドキュメンタリー『サラダデイズ -SALAD DAYS-』は、シーンを牽引したバッド・ブレインズ、ムーブメントの基盤を築いた80年代の先駆者たち(ダグ・ナスティ、S.O.A、スクリーム、マージナル・マン)、そして後続のエンブレイスやフガジらのライブ映像を交えながら、政府のお膝元で誕生したそのシーンの隆盛を描いてみせる。
『80年代D.C.パンクの軌跡』という副題を掲げる本作は、同シーンを知るための入門書となるだけでなく、パンクがはみ出し者たちを結びつけ、人種差別や経済格差を糾弾するためのツールとして機能していた時代の空気を見事に捉えている。(本作は2015年4月にニューヨークで劇場公開されている。日本では、2016年10月1日(土)より全国順次公開。)

Translation by Masaaki Yoshida

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