連載|野村訓市が思い描くホテルの理想形:第三回 仏パリ・オデオンの安宿

By Kunichi Nomura 2016/10月号 P129〜0 |
ローリングストーン日本版2016年10月号掲載 連載:A Hotel with No Name/ 野村訓市 stay.003 仏パリ・オデオンの安宿
時には一泊10ドルの安宿に、時には古都に鎮座する老舗の名宿に。ラグジュアリーな高層デザインホテルから、荒野にひっそりと構えるモーテルまで。無数の旅の実体験から生まれた、野村訓市が思い描くホテルの理想形。

海外に行くと最近感じるのが、日本人が減ったということだ。もちろん超元気なご長寿団体客や夫婦を目にすることはあるが、若い奴が少ない。ヨーロッパをうろちょろするとき、アジア人の旅行客を目にすることがあればそれは十中八九は日本人だったのだが、今じゃ違う。中国かシンガポール人、韓国人の場合がほとんどで、日本の元気な若い奴がでかいリュックを背負いながら、"地球の迷い方"を片手に路上をウロウロする姿は完全に消えた。

かつて日本人の若者たちがヨーロッパ中に生息していた頃、気づいたのが街によって出身地が偏っていたり、好きなもののテイストがはっきり違う者だらけだったということ。ロンドンには関西出身の人を多く見かけ、音楽好きが多く、パリではやたらと関東の人をよく見かけ、しかも女が異常に多かった。おフランス好き。俺が初めてパリに行った時、宿は左岸と勝手に決めていた。サン=ジェルマンあたりに泊まって、かつてのボヘミアン、葛城ユキを気取ろうと思っていたのだ。それで金もないのに「カフェ・ド・フロール」でコーヒーでも飲みながら、実存主義者も気取り、そこからてくてく色々歩こうと決めていたのだ。

一軒、一軒と星のついていない安宿を回り、一泊の値段を聞いては値切り、高いとなるとまた次へと向かう。隣駅のオデオンの裏道あたりにものすごい安い宿を見つけた。えらく細く急な螺旋階段。歩くたびに足元の木がギシギシと音を立てる。古い木のドアは何重にも重ね塗りされ、真鍮のドアノブに差し込む鍵は、俺でもクリップ一つあれば5秒で開けられそうな、冗談みたいに鍵らしい鍵だった。足の踏み場もないような狭い室内、風呂は共同だったような。それでも小さい窓からは目の前の通りが見渡せ、賑わうカフェを眺めながら、あぁ俺はパリにいるのだと実感させてくれるものだった。そこからジム・モリソンの墓参りに行き、川沿いを歩き、ジャズを聴いたり、公園でのんびりした。俺はその星なしの古い安宿を気に入り、それ以来何度か泊まったのだが、そのホテルには日本人観光客が多かった。階段を下りるときに互いが触れずにすれ違うのは不可能なほど狭い階段で、毎日誰かしらの日本人観光客とすれ違った。完全に俺の独断と偏見で言えば、それは全員がオリーブ少女という奴だったと確信している。ベレー帽をかぶっていたり、バスクシャツを着ていたり、ふわりとしたワンピースドレスを着ていて、誰もがパリにいるという現実に完全に目がイっていた。奴らにすれば、今自分はまさにパリジェンヌで、ここは安宿ではなく小粋なアパルトマンなのだ。その証拠に朝になると奴らは大きな紙袋を抱えて階段を上ってくる。袋から飛び出た長いバゲット。一体どのくらい腹が減っていたらあの一本を一人で食うのだ。そしてワイン。足の踏み場すらないあの小さな部屋でどうやって飯を食い、ワインを飲むのだ。ベッドの上でか?大量にカスを撒き散らすバゲットを? まな板持参で旅する強者たちなのか? そんな彼女たちの姿はホテルだけではなく、あらゆる街角で常に見かけた。バスケットを持ち、信号待ちをするときは、少し両足を広げ立つ。いちいち雑誌の表紙のような姿。眩しげに空を見上げる、一人で微笑む。

パリとは完全無欠の女性都市で、滞在するものはすべてパリジェンヌ病にかかってしまうのではないかと思うくらいすごかった。うっかりしていたら俺も、アパートをアパルトマンと呼び出してしまうんじゃなかろうかと心配になるくらいに。けれどもそんな90年代を今となっては懐かしくも思うのだ。パリに取り憑かれた少女たちが溢れていたあの頃に。次パリに行くときには、またオデオンを歩き、あの安宿を探そうと思う。

ローリングストーン日本版2016年10月号掲載 
連載:A Hotel with No Name/ 野村訓市 stay.003 仏パリ・オデオンの安宿

Kunichi Nomura

野村訓市 1973年東京都生まれ。20代、約6年間の放浪の旅から帰国後、編集/執筆と"Tripster"名義でインテリアプロデュースを中心に活動。DJ集団"MILDBUNCH"の主宰やJ-WAVEのパーソナリティなど、多岐にわたる活動の合間を縫い、国内外の旅を続けている。
Edit by Hiroshi Kagiyama

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