ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK − The Touring Years』からわかる10の真実

3. 苦しい状況の時、ビートルズが叫ぶ掛け声



売れるまでの時代をメンバーたちはただ懐かしく振り返るだろうが、そこへ至る道は常に順調というわけではなかった。会場からの絶叫と大金を手にする前、彼らはほんの少しばかりの報酬を得るためにハンブルクで毎晩8時間プレイし、清掃用具庫を改装した部屋で眠った。リヴァプール時代は、会場の停電やトイレ詰まりによるステージの中断、バンの事故、地元ギャングや嫉妬に駆られたファンの女の子のボーイフレンドに殴られるなど、混乱状態だった。

精神的に落ち込んだ時ジョン・レノンは、ユーモアと励ましの言葉でその暗いムードを吹き飛ばそうとした。「バンドの雰囲気が悪くてバラバラだと感じた時や、安い契約でひどい楽屋に押し込められているような時、"俺が掛け声を掛けるから、みんな後に続け"ってよく言ったものさ」と、レノンはインタヴューで当時を振り返っている。「"どこを目指す?!”と俺が叫ぶと、“頂点だ、ジョニー!"と返す。そして“頂点はどこだ?!”と言えば"ポップ界のトップだ、ジョニー!"と応える。“いいぞ、その通りだ!”と俺が締めくくる。こんな感じでみんなに喝を入れていたんだ」。

4. 狭い1室での寝泊まりからプラザホテルのフロアを貸し切るまで──そしてまたひとつの部屋へ

ハンブルクでの下積み時代、ビートルズの生活環境は、人権侵害並みにひどいものだった。4人は何ヵ月間も、小さな映画館の奥にある窓のないコンクリートの壁に囲まれた用具庫で暮らした。暖房もなく、二段ベッドでイギリス国旗を毛布代わりに寒さをしのいだ。毎晩のステージが終わると寒さに震えながら数時間うたた寝し、やがて昼間の映画が始まって起こされる、という毎日を過ごした。

「ハンブルクでは1部屋に4人が寄り添って、本当にひどい暮らしだった。バスルームも何にもなかった」とジョージ・ハリスンは振り返る。部屋のすぐ隣に女性用トイレがあり、部屋にいても音が聞こえる上に臭いもひどかった。彼らはトイレの水で体を洗い、髭を剃った。

それからわずか3年後の1964年2月、ビートルズはニューヨーク市の超高級なプラザホテルに宿泊し、VIP待遇を受けていた。バンドとスタッフたちは、プレジデンシャル・スイート10室を含む12階のほとんどの客室を占拠していた。そんな広々としたスペースがあったにもかかわらず、4人は狭い場所を好んだ。「プラザホテルの1フロアを貸し切り状態だったけれど、俺たち4人はもの凄いプレッシャーから逃れるため、結局バスルームに籠もっていたんだ」と、スターは振り返る。

Translation by Smokva Tokyo

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