ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK − The Touring Years』からわかる10の真実

7. 1964年のツアーは公民権運動の勝利だった

映画『Eight Days a Week』はビートルズの音楽的な偉業の数々を追求すると同時に、めったに語られない公民権運動の勝利についても触れている。1964年の夏の終わりに行われた初のフルスケールのアメリカ・ツアーでディープ・サウスを訪れ、そこでメンバーは初めて人種差別の実態に直面した。4人は大きなショックを受け、猛烈に人種差別反対の立場を取るようになった。

マッカートニーは、ツアーに同行したDJラリー・ケインに彼の気持ちを伝えている。「人を差別するなんて愚かでばかばかしいことだ。人間を動物と同じように扱ってはいけない。僕ら4人だけでなくイギリス国民は全員同じ気持ちさ。僕らのコンサートや僕らの国でこんなことは決して起こらない。もしあったとしたら、僕らはそんな人々の前でプレイしない」。

フロリダ州ジャクソンヴィルで、バンドは彼らの信念を貫いた。会場となるゲイター・ボウルでは人種別に席が分けられていたが、バンドは「その境界を取り払うまでプレイしない」とコンサートの開始を拒否した。コンサートを中止した場合のビートルズ・ファンによる暴動のリスクを回避するため、プロモーターはバンドの要求を受け入れ、人種別の観客席を廃止した。これ以降、ビートルズのコンサートで席が人種別に分けられることはなかった。「僕らはすべての人々のためにプレイしているんだ。この人、とかあの人という特定の人たちのためにプレイしだいんじゃない。ただ皆のためにプレイしたかったんだ」とスターは語っている。

8. 映画『ヘルプ!4人はアイドル』のバハマ・ロケは、税務署員から逃れるためだった



窮屈なバックステージのありのままの雰囲気を描いた前作『ハード・デイズ・ナイト(原題:A Hard Day’s Night)』と比べ、大規模予算の付いた『ヘルプ!4人はアイドル(原題:Help!)』(1965年)はフルカラー撮影で、世界中を旅するバンドを描いている。脚本には、ビートルズが訪れたいと思っていたいくつかの海外ロケが組み込まれた。リヴァプールの若者のウィッシュリストに太陽の光り輝くバハマのビーチが入るのは理解できる。しかし実際は、ジョージ・ハリスンにつきまとう税務署員から逃れるための渡航だった。

「僕らが税金対策について話し合った時、バハマかどこかへ財産を移した方がいい、というアドバイスを受けたんだ」とマッカートニーは振り返る。バンドのファイナンシャル・アドバイザーは、当時のイギリス領にタックスシェルターを設けた。ただし条件として、その場所にまる1年間住居を構える必要があった。善意の証として、メンバーはバハマの彼の住居を訪れる計画を立てた。「ちょうど映画出演の打診を受けたので、僕らは“バハマで撮影するのはどうだろう?”と言ってみたんだ」。ビートルズの言葉は絶対で、監督のリチャード・レスターは彼らの希望を実現しなければならなかった。「“バハマで撮影しましょう。シーンを書き足しました”と僕らは言われたんだ」。

Translation by Smokva Tokyo

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