4. ビーチ・ボーイズにインスピレーションを求めた『ロー・パワー』「自分のヴォーカルに全然納得がいかなかった」1971年発表のストゥージズのサードアルバム『ロー・パワー』の制作において、ポップはそう語っている。「高音も低音もまるでダメだった。何とかしたくてビーチ・ボーイズ風のヴォーカルハーモニーも試した。今思えば馬鹿げてるけどな。ヴォーカルのアタック感を出そうとしてキーボードの音を被せてみたりしたけど、全然ダメだった」ポップは首を横に振ってそう話す。その悩みを解決しアルバムを完成に導いたのは、ポップを支え続けたデヴィッド・ボウイだった。
『(ボウイと共に)スタジオで過ごした時間は楽しかったよ」彼はそう話す。「彼はガジェットに目がなかった」プライム・キューブと呼ばれる風変わりな楽器を気に入っていたというボウイについて、ポップはそう話している。「見た目は水パイプみたいだったけどな」ポップはそう言って笑う。「チューブに音を吹き込むと、加工された音がスピーカーから鳴るんだ。『ギミー・デンジャー』のサウンドはあれで作った。あと『ユア・プリティ・フェイス・イズ・ゴーイング・トゥ・ヘル』のドラムにも使われてる」
1979年11月14日デトロイトにて、イギー・ポップとソニックス・ランデヴー・バンドのフレッド・スミス(Photo by Robert Matheu)5. MC5のフレッド・"ソニック"・スミスの知られざる一面デトロイトのシーンのエッセンスについて問われると、ポップは簡潔にこう答えた。「フレッド・スミスさ」似た者同士だった2人は、南部出身で重労働に従事する家庭で育ったという点も共通していた。「仕事から帰ってきた親父が、シュリッツの缶で1杯やってから子供にギターの弾き方を教える、そんな家庭さ」ポップはそう話す。スミスはポップの友人であり、互いに競い合う音楽仲間でもあった。対談当日が彼の22周忌だと知った彼は、神妙な面持ちでこう口にした。「俺以外にとってはどうってことない話かもしれないけど...」彼は視線を落としてこう続けた。「MC5が解散した後、ある日の午後に(フレッドの)小さなデトロイトの自宅を訪れたんだ。いつもならただゴロゴロしてるんだけど、やつは小さなギターアンプのスイッチを入れて、美しいカントリーブルースを弾いてくれた。まるで自分の存在意義を見せつけようとするかのようにね。ロックンロールの激しさとはまったく無縁の、穏やかな曲だった。以前とある部屋でキース・リチャーズがギタープレイを披露してくれた時のことを思い出したよ。やつはそういうレベルだったんだ」
その頃スミスは(ストゥージズの)スコット・アシュトンとともに、ソニックス・ランデブー・バンドという名前で活動していた。デトロイトのダイバーたちが集まるバーで、彼らの曲に合わせて歌った時のことをポップはこう語る。「最高の思い出だよ」