1991年のWWEサバイバー・シリーズはアメリカのプロレスをどう変えたのか

By Chris Illuminati
プロレス界と二人のレスラーのキャリアを変えた1991年WWEサバイバー・シリーズを振り返る
アンダーテイカーは初のタイトル奪取し、ショーン・マイケルズは生まれ変わった。レスラー二人のキャリアを変えた1991年WWEサバイバー・シリーズを振り返る。

1991年のサバイバー・シリーズは、忘れられがちな大会だ。

ハクソー・ジム・ドゥガン、サージェント・スローター、そしてティト・サンタナのようなベテランレスラーが多数出場した大会。ハードコアなプロレスファンですら、まるで警察での犯罪者の面通しのような対戦カードは組まなかったはずだ。PPVの番組でもその世代にありきたりなWWEのショーである以上の大会であったと取り上げられることも、回想されることもほとんどない。

今から25年前の感謝祭前夜に起きた、この重大事件とも呼べる大会は、伝統的な大会として認識されてはいないものの、間違いなくWWEの歴史において、最も重要なショーの一つだと言える。会場にいるファン、そしてケーブルテレビで観戦しているファンたちは、二人のレスラーにとって伝説的とも言える新しいキャリアの幕開けを目撃した証人となったのだ。

テキサスから来た二人のレスラー

WCWと契約していたマーク・キャラウェイ(アンダーテイカーの本名)は、契約期間が終了することになっていた。ビックマッチでの勝利とそれによりその名が有名にならなければ、約2メートルものマンモスのよう赤毛の巨体のレスラーは、ゆっくりと歩みを進めていただろう。

キャラウェイはミーン・マーク・キャラスの名前でデビューし、同じように巨体を持つダニー・スパイビーと共に、二人に相応しい名を持つコンビ、スカイスクレイパーズを結成した。二つの団体に所属し、全ヘビー級チャンピオンだったテキサス出身のレスラーである彼は、WCWに所属していた短い間には、あまり業績を残していない。ザ・ロード・ウォリアーズとの対戦の後、スパイビーがWCWを離れたことにより、キャラウェイは強豪ひしめくシングルマッチへの参戦を余儀なくされた。

ミーン・マークは抜け目なくも、のちにポール・E・デンジャラスリーの名で知られるポール・ヘイマンをマネージャーに迎え、ジョニー・エースやブライアン・ピルマンと、いくつかの記憶に残るミッドカードに出場した。この団体における8か月のキャリアで最も成功した試合は、クラッシュ・オブ・チャンピオン11での一戦で、USヘビー級王者のレックス・ルガーとの対戦だった。

キャラウェイはテキサス・レッドとして、WCCWでの鮮烈とは程遠いデビューから、長い道のりを経てきた。肋骨を痛めながらも試合を重ね、キャラウェイは輝かしいベルトを手にしたいと考えるようになった。彼が重要と考えていたのは、試合のクオリティだ。彼はビンス・マクマホンとの交渉の場を持ち、その翌日にはWWE(当時の団体名はWWF)への移籍について協議した。ビンスがテレビ放映された試合を見ていると、キャラウェイは確信していたのだ。

そして、キャラウェイのWCCW在籍時に、テキサス出身レスラーとしてキャリアをスタートさせたもう一人のレスラーが、マイケル・ショーン・ヒッケンボトムだ。彼は、1986年20歳の時にバーン・ガニアをオーナーとするAWAで、レスラーデビューを果たした。ショーン・マイケルズというリングネームで、たった2度のシングルマッチへの出場を経て、旧友のマーティー・ジャネッティとタッグチームを組んだ。ヴァーンの息子グレッグは、この二人の若き選手をロックンロール・エクスプレスと名付け、興行的にも注目を浴びる人気タッグチームに仕立てる画策をしていた。
Translation by Ayako Hayashi

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