ドアーズの低音部を担っていたのが、フェンダーローズを操るレイ・マンザレクの左手だったことは広く知られている。そのスタイルは、バンドが初期に直面していた状況の打開策として考案された。「ベーシストを探していた俺たちは何度もオーディションをやった」彼は『Classic Albums: The Doors』でそう語っている。「あるベーシストはローリングストーンズ風、別のベーシストはアニマルズ風といった感じで、どれもピンと来なかった」何かのフォロワーと見なされることを拒んだドアーズは、ベーシストを迎えないという選択肢をとった。「ベーシストを加えた途端、他のロックバンドと似たようなサウンドになった」自伝『Riders on the Storm』で、デンズモアはそう綴っている。「俺たちが何よりも意識していたこと、それは他とは違うオリジナルなバンドであることだった」
デンズモアはその看板がバンドの知名度の向上に大きく貢献したと語る。「ラジオDJのビル・アーウィンのインタビューで、彼はあの看板に言及して俺たちをからかった」彼は『Riders on the Storm』で、アーウィンの発言ついてこう綴っている。「『バンドを宣伝する看板っていうのは奇妙なもんだ。看板から音が聞こえるわけじゃないんだからさ。世間がまだ知らない、ザ・ドアーズというバンドの音をね』」