ザ・ローリング・ストーンズが語る、ブルーズへの回帰

BRIAN HIATT | 2017/02/11 12:00

| 1970年のザ・ローリング・ストーンズ( Gijsbert Hanekroot/Redferns) |


リチャーズは彼なりの考えを持っている。「俺はスペードのエース、つまり黒さ」とポーカーフェイスで言う。「俺の友だちに聞いてみろよ。俺は子供の頃から肌の色なんか気にしていないし、ブルーズが特定の人種のものだなんて考えたこともない。歴史の一部なんだ。白人の奴隷もいたし、はるか昔から労働歌は存在した。エジプトやユダヤの歴史を見れば明らかだろう。人類の歴史が始まった時から続いているんだ」

最後にジャガーは言う。「ブルーズの外の人間や外国人が、ブルーズという音楽を壊したか?それとも盛り上げたか?マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフは生前、"(ストーンズは)ブルーズの繁栄に貢献してくれた"と言っていた。公平なギヴ&テイクさ」

ストーンズのジャム・セッション仲間でもあるシカゴ・ブルーズの旗手バディ・ガイも、ウォーターズやウルフと同じ見解を持っている。「ストーンズはブルーズの世界の人々、特に黒人に貢献した。俺たちがなし得なかったレベルにブルーズを押し上げ、ブルーズの世界の人間に脚光を浴びさせてくれた。彼らはブルーズの世界に入ってきて、"これは俺たちが作った新しい音楽だ"とは決して言わなかった」

ストーンズ以前も、シカゴのブルーズ・マンたちは白人ミュージシャンに対して協力的だった。例えばマディ・ウォーターズは50年代に、白人ハープ・プレイヤーのポール・バターフィールドを支援した。ストーンズは64年、彼らの聖地であったチェス・レコードの本社を訪れ、スタッフたちと交流するようになり、ウォーターズとも知り合った。リチャーズは、「俺たちがチェス・レコードを訪れた時、ウォーターズは天井のペンキ塗りをしていた」と長い間公言していたが、マーシャル・チェスはそのエピソードを否定している。それでもリチャーズは今なお言い張っている。「何で俺がそんな作り話をする必要があるんだ?」

「マディは誰でも受け入れてくれる心の広い人だった。そしてハウリン・ウルフも全く同じだった。"白人がそんな風にプレイできるんだ"なんて感じではなく、すぐに仲良くなった。彼らは肌の色がどうのとか全く気にしなかった。もちろん、マディやその他のブルーズ・マンたちは、ストーンズがブルーズをアメリカへ逆輸入して人気を再燃させたことを認めてくれていた。人気の再燃とまではいかなくても、ブルーズに再びスポットを当てたのは間違いないね。このことはずっと誇りに思っているし、この功績を認めてもらって天国へ行けるかな」と、リチャーズは笑い転げた。

多くのブルーズ・ギタリストとは違い、リチャーズはリードギターの名手になることには興味を持たなかった。それよりもどちらかと言えばリトル・ウォルターのバックバンドにいたマイヤーズ兄弟のようなアンサンブル・プレーヤーに興味を惹かれた。「とにかくバンドを組みたかったんだ。短くクールなソロがちょっと入って、あとはブーン。それでいいんだ。或いは4〜5人で組んで、その人数以上のサウンドを出せた時がたまらないね」とリチャーズは言う。

ロックはグルーヴを失い、その"ロール"は、約60年前にエレキベースが出現したことにより、アフリカ系アメリカ人の活躍していた時代から遠ざかってしまった、とリチャーズは感じている。「60年代の中頃は、バンドの中の一番下手くそなギタープレーヤーがベースを弾いていた。"ポロン、ポロン、ポロン"って感じで、全くヨーロッパ的だった」

リチャーズはまた、別の話も持ち出した。「ジミ・ヘンドリックス。彼はとてつもなく凄い。大好きだよ。彼はギターの概念をぶっ壊した。コルトレーンのサクソフォンのようなあのノコギリのような独特なサウンド。本当に素晴らしいプレーヤーだった。残念ながら彼は楽器を破壊した。そうすると皆が盛り上がったからな」
Translation by Smokva Tokyo

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