『ステイション・トゥ・ステイション』制作秘話:ボウイ「人生で最も深い闇と向き合った日々」

(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

コカイン漬けだったロサンゼルスでの堕落した日々がもたらした1976年作『ステイション・トゥ・ステイション』。ロサンゼルスでの悪夢の日々を経て、ボウイの「汚れた」オルターエゴが生み出した傑作とは。

1975年にロサンゼルスに引っ越して以来、デヴィッド・ボウイは狂気の世界へと踏み込んでいった。常軌を逸した量のコカインを摂取し、何日も睡眠を欠き(「寝るのは嫌いなんだ」彼は当時そう語っている。「ずっと起きてて仕事をしている方が俺には合ってるんだ」)、主食はペッパーと牛乳だったという日々の中で、彼の体重は一時45キロを下回っていたという。

心理状態も正常にはほど遠かった。ベル・エアのマンションではいたるところに黒のキャンドルが灯され、窓から人が落下する幻覚を見るようになり、オカルトの世界に深く入り込んでいった。当時のインタビューではアドルフ・ヒトラーを尊敬していると話し(「(ミック・)ジャガーにも引けをとらない、最高のロックスターのひとり」)、極右派による独裁政治の支持を表明している。同年にレコーディングされた『ステイション・トゥ・ステイション』の曲群には、彼が抱えていた闇が色濃く反映されている。

後にボウイは当時のことを「人生で最も深い闇と向き合った日々」と描写している。また1999年のVH1 Storytellers収録時には「あまりに酷すぎて頭が思い出すことを拒絶している」と語っている。『ステイション・トゥ・ステイション』に収録されたメランコリックな『ワード・オン・ア・ウイング』の演奏直前、ボウイは同曲についてこう語っている。「無意識であれ、当時抱えていた苦悩が反映されていると思う。助けを必要としていたんだろう」

そうは言えども、ギタリストのカルロス・アロマーによると、1975年にチェロキー・スタジオでアルバムの制作に取り組んでいたボウイは、そういった内面の混乱を決して表に出さなかったという。「やると決めたら徹底的に集中する、それが私たちのやり方だった」彼はそう話す。「たとえ原動力がコカインだったとしても、デヴィッドは作品を完全にコントロールしていた。ずっとそうだったように、彼は作品のテーマと歌詞について熟慮し、クオリティに徹底的にこだわった」

「当時の彼を支えていたのは、徹底したプロ意識だった」アロマーはそう話す。「曲を書くことで自分自身を理解しようとしているようだった。『さぁやるぞ、すごいのを作ってやろうじゃないか』いつもそんな風に話してたよ」

音楽的には明快でありながら、歌詞に間接的な表現が目立つ同作は、『ヤング・アメリカンズ』のプラスチック・ソウル期と、冷たいエレクトロニックサウンドを追求したベルリン三部作をつなぐアルバムだ。チャートアクションの面において、2013年に『ザ・ネクスト・デイ』が発表されるまで、同作はボウイ史上アメリカで最も成功した作品だった。ボウイに対して懐疑的なことで知られる批評家のレスター・バングスは、同作をこう評している。「内に抱えた終わりのない痛みを曝け出した、どこまでも美しく、ロマンティックなメランコリーに満ちた作品」バングスのレビューはこう締めくくられている。「ボウイはついにマスターピースを生み出した」

Translation by Masaaki Yoshida

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