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『ステイション・トゥ・ステイション』制作秘話:ボウイ「人生で最も深い闇と向き合った日々」

ALAN LIGHT | 2017/02/05 16:00

| (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images) |


ボウイがアメリカに拠点を移した理由、それは俳優としてのキャリアの追求という月並みなものだった。1975年4月、彼はロックンロールとの決別を表明する。「退屈で未来がないからさ」そう語ったボウイはこう続けている。「もう2度とロックンロールのレコードは作らないし、ツアーもやらない。しみったれたロックシンガーになるなんてまっぴらだ」(ボウイは1973年のロンドンで公演の場でも、ロックとの決別を宣言している)

狡猾なトニー・デフリーズと袂を分かち、新たなマネージメントチームと共に再出発したボウイは、同じくイギリス出身のニコラス・ローグが監督を務める『地球に落ちてきた男』の主演およびサウンドトラック制作を目的に、西海岸へと移り住んだ。ボウイの弁護士は、彼のクライアントの手元には9点の脚本があり、そのすべての撮影計画があると主張していた。また妻のアンジーとの関係の悪化も、ボウイに生活環境の変化を促した。

春のうちにロサンゼルスでの生活の感触をつかんだボウイは、6〜8月を撮影が行われたニューメキシコで過ごしている。バスター・キートンを参考にしたというトーマス・ジェローム・ニュートンという異星人役を見事に演じきったボウイは、撮影の合間に楽曲制作と、『The Return of the Thin White Duke』と題された小説形式の自伝(ロックの殿堂のアーカイブ室に手書きの原稿が保存されている)を執筆していた。

ニュートンの役を演じることがその後の活動にも影響をもたらすであろうという、ローグが事前にボウイに送った警告どおり、ロサンゼルスに戻ったボウイは、エレガントで無感情な「公爵」(白いシャツとベスト、黒のパンツに身を包んだそのキャラクターを、ボウイは「汚らわしい存在」と評している)という、ジギー・スターダストとアラジン・セインに続くオルターエゴを生み出す。自伝の出版が白紙となり、『地球に落ちてきた男』のサウンドトラック用に制作されたインスト曲の幾つかがローグによって却下された後、ボウイは再び音楽に没頭するようになり、新たなアルバムの制作に着手する。

ボウイがアルバムの共同プロデューサーとして白羽の矢を立てたのは、ジョン・レノンとの共作『フェイム』でその手腕を発揮したハリー・マスリンだった。また『ヤング・アメリカン』のセッションにも参加した敏腕ギタリスト、アロマーもアルバムへの参加を要請される。彼はボウイの作品に再び携わることに喜びを覚えながらも、事前にレコーディング過程の大まかな道筋を示すよう求めたという。ボウイが作った楽曲の骨組みに、ドラマーのデニス・デイヴィス、アロマー、そしてベーシストのジョージ・マーレイの3人(通称DAMトリオ)が肉付けし、その後他のプレーヤー(リードギタリストのアール・スリック、E・ストリート・バンドのキーボード奏者ロイ・ビタン)が音を重ね、最後にボウイがヴォーカルを乗せるという形でセッションは進められた。

「リズムセクションが決まれば、曲の全体像が見えてくる」アロマーはそう話す。「必要なものがはっきりとわかっていたからこそ、参加したミュージシャンたちは臆せずに様々な選択肢を試すことができた。我々のアレンジに対するそういったアプローチをもとに、デヴィッドは言葉を切り刻むという手法を思いついたんだ」そのコンセプトは後年に至るまで、ボウイの楽曲制作と彼を支えるバンドの根幹をなすことになる。
Translation by Masaaki Yoshida

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