マイケル・マン、政治色の強い『ALI アリ』ニューエディションを語る:彼は抵抗のシンボルだった

By David Fear
Everett Collection
映画『ALI アリ』の監督マイケル・マンは、ボクシング・レジェンドの2001年伝記映画を政治スリラーに改訂したことについて、そしてトランプ時代にこの作品が持つ意味について語った。

2016年6月4日にモハメド・アリが逝去した際、彼を知る者、彼を崇拝する者、彼と戦った者、彼を愛した者たちは口々に、アリのボクサーとしての並外れたスキル、軽快なフットワーク、そして言葉の使い方(特に多種多様なトラッシュトーク)のすばらしさを証言した。こうした追悼の中でしばしば強調されていたことは、アリが革新的なボクサーであったのと同じくらい、政治的にも扇動的であったということである。アリは20世紀を代表するきわめて優秀なアスリートであり、自らの信念に基づいてボクシングキャリアを犠牲にすることを厭わない社会活動家でもあったのだ。この世界ヘビー級チャンピオンは、アメリカのレイシスト的ルーツを糾弾し、物議をかもす宗教をおおっぴらに受け入れてクリスチャンとしてのアメリカを困惑させ、マルコムXの友達であり、ベトナム行きを拒否したのである。彼は時代を代表する人物だったし、それは格別に波瀾万丈な時代であったのだ。

2001年の伝記映画『ALI アリ』を見れば、かつてカシアス・クレイとして知られていたこのボクサーが、1964年から1974年の間にどれほど政治的な存在になっていったかがお分かりいただけるだろう。しかしこの映画を監督したマイケル・マンに言わせれば、まだまだ不十分であった。だからこの73歳の映画監督は、この映画のブルーレイ・リリースの準備に際して、いくつかの点を変更することにした。彼はすでにテレビ向けに一度、素材を見直して再編集をしており、インタヴューでは物語の流れが良くなったと語っていた。しかし今回マンは、アリをあの有名な一戦のリングに立たせることとなった文脈をもっと盛り込みたいと考えた。オリジナル版にあった試合のシーンは短縮あるいは削除された。ブルース・マッギルのアフリカでの諜報活動を描写したシーンや、コンゴ大統領モブツ・セセ・セコが、『ランブル・イン・ザ・ジャングル』の一戦をイディ・アミンと一緒に観戦しているシーンは追加もしくは大幅に強化された。観客の大歓声のシーンは、かつてとまるで違う意味合いを帯びるようになり、ストーリーラインの前面に押し出されることとなった。

結果的には、再編集版というよりは、マンの"ザ・グレイテスト"観のラジカルな(かつ、ラジカル化された)改訂版となっている。伝記的要素は後退し、アリを拒絶したネイション・オブ・イスラムの実力者からアメリカ政府、CIAのスパイから独裁者まで、誰もがチャンピオンをつけ狙うというサスペンス作品に仕上がっているのだ。監督によれば、こうした要素により、アリの物語がよりいっそう、核心に迫るものになったのだという。最新版『ALI アリ』発売の前日、マンはローリングストーン誌に、このニューエディションを制作した理由、彼自身と主演のウィル・スミスが、いかにアリ観を深めていったのか、そしてこの映画とアリが、トランプ時代の生き方について示唆してくれていることについて語った。

ー今回、この映画の3度目の編集を行う必要があると思ったのはなぜですか。

作品の後味に満足できていなかった、つまり、ストーリーが十分に語られていなかったからだ。再構成、もしくはある意味書き直しが必要だった。全てのドラマが対立を描いているのだとすれば、というか私はそう思っているわけだけれど、私は対立をもっと分かりやすくして、多くの敵対要素がアリと対峙し、それらが全て関連し合っているようにしたかった。すると突然、アリが失った年月の重さが、これまで以上に痛々しく感じられるようになった。ボクサーとしての全盛期だったはずの年月だ。アリの家族にも圧力が掛かっていた。だからベリンダ(ノーナ・ゲイが演じている)が、ジョージ・フォアマンがアリを殺すと信じていたことは、むしろ忠誠心の不足であったと読めるのだ。そしてそのことが、FBIの対敵諜報活動プログラム、CIAによる監視、その両者の相互関係性とより固く結びついている。アリは第三世界で何が起きているのか、分かっていた。アリは(コンゴ独立の指導者)パトリス・ルムンバのことを知っていたし、彼の危険性も認識していたのだ。

ーアリが国内外の権力者たちの標的になっていたという事実を強調することで、あなたはアリのことを、世界的な自由のシンボルとして描き直そうとしているのですか。

今回の編集がうまくいっているなら、ジョージ・フォアマン戦の勝利が、アリから権力者たちへの強烈な一撃にもなっていたということが分かる。これは、アリの作品冒頭での発言、「私は何者になるべきなのだろうか」と重なってくる。

映画の中でハワード・コゼルがアリに、ストークリー・カーマイケルのような人は政治的だが、キミは世界ヘビー級チャンピオンなんだぞ、と語ることからも分かるように、アリは強烈なイメージの持ち主になっていく。アリのアピール力はとてつもなく大きい。そしてそのアピールは、彼自身が人生を通じて作りあげたものだ。作品の終わりまでに、彼は下層から上昇しようとする全ての人の象徴になっていく。壁画にアリを描き、アリを応援しているファヴェーラの人々にとって、アリは眠り病を治してくれる存在となっていく。アリは、ツェツェバエも、戦闘機も、戦車も、資本家も、人々を下層に縛り付けておこうとする全てのものをノックアウトしてくれる。

着眼点のシフトにより、いくつかの変更が必要になった。例えば、『ランブル・イン・ザ・ジャングル』で勝利した後のアリに歓声を上げる観衆を映し出すのではなく、試合前にスタジアムに向かうアリに歓声を上げる観衆を映し出す。そして最後のシーンはリング上ではなく、ドン・キングを叱りつけてから、群衆の中にたたずむアリを映し出している。それがこのニューエディションの志なんだ。
Translation by Tetsuya Takahashi

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