ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史

ポール・マッカートニー、ジョン・レノンを語る
1979年7月12日

ジョン・レノンの死の数ヵ月前、ちょうどレノンが息子ショーンの育児に専念するため音楽の制作活動を離れていた時期に、ポール・マッカートニーがかつての朋友レノンについてローリングストーン誌に語った。「彼にはまた音楽を作って欲しい。もちろん彼は作るだろうが、もしもやる気がない時には無理に作らないで欲しい」と言い、「でもまあ好きにすればいいさ(Whatever gets you through the night)」と、レノンの曲のタイトルを引用してジョークを飛ばした。さらに、「レノンが父親として子育てを楽しんでいることを願っている。彼にはクールに人生を謳歌して欲しいし、きっとそうしていると思う」と続けた。マッカートニーはまた、"レノン=マッカートニー"という楽曲のクレジットについてもコメントしている。「実際には、2人の共作は20曲程度だと思う。その他の楽曲は、ほとんど一緒に作っていない。気にしすぎだよ。皆にどの曲が僕のものかを知って欲しいのかい? クレジットなんてどうでもいいだろ?」

追悼 ジョン・レノン
1981年1月22日



1980年12月8日、ジョン・レノンはニューヨーク市の家の前で射殺された。ローリングストーン誌は、1冊全てをジョン・レノンに捧げた。表紙は、アニー・リーボヴィッツの撮影したレノンとオノ・ヨーコの写真が飾った。論議を呼んだこの有名な写真は、レノンの殺害当日に撮影された何枚かの内の1枚だった。アニーの撮影した写真は、レノンの死の数日前に行われたインタヴュー、レノン関連のニュース、彼の死を悼む声、レノンの才能の批評的検証、1971年の本誌インタヴューからの引用、レノンの生涯年表などと共に掲載された。「人々はいつだって、あれこれ批評したがる。たった1曲、たった1枚のアルバムで作者が何を言おうとしているかを探ろうとする。でも僕にとって、それらは一生をかけた作品の一部なんだよ」と、最後となったインタヴューで語った。「子供時代の絵や詩から死ぬまでが、全てひとつの大きな作品なんだ」。

超ビートルマニア
1984年2月16日



ローリングストーン誌は、エド・サリヴァン・ショーでの熱狂のデヴュー20周年を記念した特集を組んだ。スペシャル・カバー・ストーリーのほか、"ビートルズを好きな理由"を考察するエッセー、80年代のティーンエイジャーにとってのビートルズ、テレビでビートルズを観た時の思い出(アレン・ギンズバーグ、デヴィッド・レターマン、スティング他)や、"超ビートルマニア"と題したビートルズ外伝が掲載された。このビートルズ外伝では、バンドの熱狂的なファンであるデイヴ・モレルの所有するスタジオ・アウトテイク、レアなコンサート映像、ビートルズの未発表音源(と思われる)のコレクションを紹介している。このコレクションは、ビートルズのメンバーも驚かせた。「ジョン・レノンにブートレッグ盤『Yellow Matter Custard』を初めて聴かせたのは、僕だよ」とモレルは言う。「彼は衝撃を受けていた。喜んだ彼は、ラジオDJのハワード・スミスにオンエアするように依頼し、他のメンバーにもレコードを送っていた。彼は本当に行動派だった」。

ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスン、ローリングストーン誌20周年を祝う
1987年11月5日



ローリングストーン誌20周年記念号に、ビートルズの2人がインタヴューで登場した。この年には、ビートルズの作品が初めてCD化されている。当然2人のインタヴューでも、CD化がメイン・トピックとなった。「今回、『サージェント・ペパーズ』のA面を聴いた時、それで全てかと思ったんだ。それだけでも1枚のアルバムとして十分だった。そしてレコードをひっくり返すと『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』が来る。大げさに自慢する訳ではないけれど、これは素晴らしいアルバムだ」。ハリスンは、ビートルズ再結成を画策する人々に飽き飽きしていた。「僕に"こうしてくれ"って頼んできた奴が実は、同じことをポールやリンゴにも依頼していたり… 騙されてまたビートルズの一員になるなんてごめんだ」。

ビートルズのヒット曲製造工場の内幕
2001年3月1日



ビートルズのUSチャートとUKチャートにおける27曲のナンバー1ヒットを集めたコンピレーション・アルバム『ザ・ビートルズ1』のリリースに合わせ、アルバムに収録された各曲の起源を探った。企画にはプロデューサーのジョージ・マーティン、エンジニアのジェフ・エメリック、そしてオノ・ヨーコが協力した。ザ・キンクスのレイ・デイヴィス、U2のボノ、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンらも、ビートルズのヒット曲の魅力とユニークさについて持論を展開した。『ラヴ・ミー・ドゥ』に始まり『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』で終わる本アルバムには、『エリナー・リグビー』、『ペイパーバック・ライター』、『サムシング』も含まれる。ローリングストーン誌では、その一曲一曲について深く斬り込んだ。「当時ジョンが書いていた曲は、全て自伝的だった」と、『ジョンとヨーコのバラード』についてオノ・ヨーコは語っている。「私たちにとってとても辛い時期だった。彼はその状況を悲劇でなく喜劇として描いた」。またエメリックは、『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』に加えられたフィル・スペクターによる装飾についてコメントしている。「あれはポールに対する侮辱だ。ポールが録音したものをスペクターが引っ張り出して、勝手にオーヴァーダビングしてしまったんだ」。

(リンク)
『ザ・ビートルズ1』の27曲を含む、ビートルズの楽曲ベスト100

Translation by Smokva Tokyo

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