AC/DCマルコム、揺るぎないビジョンでバンドを牽引した40年

AC/DCは、ドラム・マシンにもシンセサイザーにも一切手を出さず、“ヒット請負人”と仕事したことも、アルバムにゲスト・ミュージシャンを招いたこともない。音楽面でも、チャック・ベリーのリフと、彼らを育ててくれたオーストラリアのバー・サーキットで学んだこと以外の冒険は一切していない。『ロング・ウェイ・トゥ・ザ・トップ』(原題:It’s The Long Way to the Top (If You Wanna Rock ‘n’ Roll))でボン・スコットにバグパイプのソロを吹かせたことも、『地獄の鐘の音』(原題:Hells Bells)の冒頭で教会の鐘が響くことも、オーストラリアのバー・サーキットで覚えたことだった。彼らの曲の中で一番ポップな曲『狂った夜』(原題:You Shook Me All Night Long)ですら、こぶしを突き上げる歓喜の歌から長時間のマラソンファックへと昇華する。また、彼らの曲で最もバラッド寄りの曲『ジャック』(原題:The Jack)も、淋病に罹患した状態を歌った6分間の尺長で底意地の悪いスロー・ブルース曲だ。「ロックンロールはロックンロールってだけさ」と、ブライアン・ジョンソンは『ノイズ・ポルーション』(原題:Rock and Roll Ain’t Noise Pollution)で、物知り顔で歌っていた。その歌詞が示すように、AC/DCも常に“AC/DC”であり続けた。同じ鉱脈に留まり、忍耐強く快楽の金塊を掘り続けながら。

しかし、AC/DCのパブリック・イメージを作ったのが、制服を着た悪ガキのようなアンガス、好色な略奪者のようなボン、強壮な肉体労働者のようなブライアンだとしたら、一切の無駄を削ぎ落とした辛辣なバンド・サウンドを確立した張本人はマルコムだ。そして、AC/DCという立派な船の船長としての役割に加え、彼はこの船の主要設計士であり、主要整備工でもあった。常に1963年製グレッチ・ジェット・ファイヤーバードを手に持って弾き鳴らしていたマルコムは、飽きもせずリフや曲のアイデアを練り続けた。さらに、究極のギタートーンを手に入れるため、ジェット・ファイヤーバードの改良を何度も行っている。「彼はAC/DCという大型トラックのエンジンなんだよ」と、アンスラックスのスコット・イアンは2014年のオンライン・マガジンLoudwireのインタビューで述べている。「マルコムはあのバンドの原動力で、バンド結成初日からずっとそうなんだ。ファンじゃないと、マルコム・ヤングといっても誰か分からないだろうけど……マルコムこそが中心人物さ。史上最高のリズム・ギタリストなんだから」

もちろん、前出のイアン以外にも、ジェイムズ・ヘットフィールド、デイヴ・ムステインなどの著名なギタリストたちが、事あるごとにマルコムへの賛辞を表明するのだが、何よりもギターの巨匠エディ・ヴァン・ヘイレンをして「AC/DCの心臓と魂」と言わしめているにもかかわらず、バンドにおけるマルコムの重要さは一般的には理解されないままだ。(ハードロックに目覚めて1979年の『地獄のハイウェイ』(原題:Highway To Hell)を初めて聴いた頃の私は、このアルバムの主役はアンガスとボンだと思っていた。このレコードを聞く一番のきっかけとなった明快なギター・リフの多くを作っていたのが、アルバムカバーでタイトなTシャツを着て、髪の毛を真ん中で分けて、殺し屋のような目つきで威嚇していた男だと気付いたのは、それからしばらくしてからだった)。ただ、マルコム自身は他のメンバーの後ろに隠れていることにまったく異論はなく、逆に積極的にアンガス、ボン、ブライアンをバンドのスポークスマンにしていた。コンサート中は、背後のマーシャル・スタックから1米以上離れることはほとんどなく、弟アンガスがダックウォークしたり、ズボンを下ろしたり、ギターを叩き割ったりと、ステージ前面でスポットライトを浴びる後ろで、正確なリフを弾くことに集中し続けた。

しかし、マルコムは単なるリフ・マイスターではなかった。「バンドを始めた当初から、メロディを思いつくのはいつもマルだった」と、2005年に雑誌Revolverの特集のために、1980年の画期的なアルバム『バック・イン・ブラック』(原題:Back In Black)制作時の話を聞いたとき、アンガスが私に教えてくれた。「俺は落ち着きがないし、慎重さも足りないけど、マルコムは曲全体をまとめて、望み通りの曲にしたいと、いつもメロディーを考えていたよ」

Translated by Miki Nakayama

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