グレイトフル・デッド、歴史が詰まった写真集が発売|フォトグラファーが語る11枚

ウォール・オブ・サウンド(撮影:ジェームズ・リー・カッツ 1974年)

© James Lee Katz

30年以上に渡り、ジェームズ・リー・カッツの撮影したライヴ写真は箱の中にしまわれたままだった。90年代の終わりになるまでカッツは、それらの写真が日の目を見ることになるとは思っていなかった。

「音楽系のダウンロードサイト、特にグレイトフル・デッド関連のサイトで、ファンたちが写真を公開したり、あのライヴがどうだったとかサイト上で議論しているのを見かけたんだ」と、現在はボルチモアで弁護士をしているカッツは思い返す。「僕はちょうど、話題に上がっていたライヴの写真を持っていたんで、箱の中から引っ張り出してスキャンし、あちらこちらのサイトへ少しずつアップしたんだ。それが積もり積もって相当な量になっていた」

カッツが初めてグレイトフル・デッドを観たのは、1973年6月のオールマン・ブラザーズ・バンドとのジョイント・ライヴだった。そのライヴは、それ以後バンドを象徴する“ウォール・オブ・サウンド”PAシステムを初めて体験した時でもある。

「屋外で初めてウォール・オブ・サウンドを体験したのは、デモインでのライヴだった。そのPAシステムは巨大でヴィジュアル的にインパクトの大きいというだけでなく、サウンドのクオリティがまた素晴らしいものだった。楽器同士の独立性が高く、各楽器のサウンドをはっきりと聴き分けることができた。楽曲がクリーンで新鮮に聴こえた」(このライヴの大部分は、公式ライヴ・アルバム『Road Trips Volume 2, Number 3』で聴くことができる)

カッツは、その年の秋に開催されたそのほかのライヴでも撮影したが、デモインでのショットが際立っていた。「屋外の日光の下で撮影する方が、いい写真になりやすいんだ」

カッツは1ファンとして、ほかのファンらと写真を共有することをただ楽しんでいた。「僕はカメラを持ったデッドヘッドのひとりなんだ」


ボブ・ウェア「トリック・オア・フリーク」(撮影:ジム・マーシャル 1967年)

© Jim Marshall Photography LLC

有名ロック・フォトグラファーのジム・マーシャルによるデッドの未公開写真も、同写真集に登場する。その内の1枚は、2014年にジェイ・ブレークスバーグが、ジム・マーシャル・エステートとマーシャルの写真を精査中に発見した。その写真は、“ジャニス・ジョプリン”と書かれた校正刷りの中に紛れていた。

「エステートは『The Haight: Love, Rock and Revolution』と題した本の出版準備をしていた。我々は初版向けに、1965〜1968年の校正刷り約3,000枚を検証していた」とブレークスバーグは言う。「校正刷りの中にはグレイトフル・デッドについての記録がまったく無かったため、『トリップ・オア・フリーク』コンサートでフェイスペイントをしたボブ・ウェアが写っている5枚の写真は、50年近く眠ったままだった」


フィル・レッシュ(撮影:バロン・ウォルマン 1969年)

© Baron Wolman

1969年、ローリングストーン誌のカヴァーストーリーにグレイトフル・デッドが初めて登場した。「ヤン・ウェナーに“どんな写真が撮りたい?”と聞かれたんだ」と、当時ローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーだったバロン・ウォルマンは思い起こす。「自分にとってのフォトグラファーのヒーローはアーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンで、彼らの代表的なポートレート作品は、最小限の照明を使ったシームレスな背景のものだった。だから僕もバンドの各メンバーのポートレートを、グレーのシームレスな背景にして、さらにグループ写真を取ろうかと考えていたんだ」

ところが撮影当日、ベーシストのフィル・レッシュは調子が悪く姿を現さず、グループ写真が撮影できないという困った状況に陥った。しかしこの時の撮影で、ウォルマンによるジェリー・ガルシアの有名な写真が生まれた。その写真でガルシアは初めて、幼い頃に切断した右手の中指を公開したのだ(このショットも写真集に収録)。数日後、ウォルマンは任務を完了させるため、マリン郡フェアファクスにあるレッシュの自宅へと車を走らせた。

「スタジオ環境を再現することは不可能だったけれど、ワイドアングル・レンズを使って面白いポートレートを撮影したんだ。ほかのポートレートとは違ったとてもユニークな写真で、自分にとって完璧な仕事とは思えなかったから、今回の写真集の話があるまで未公開だった」

レッシュが最近この写真を初めて目にした時、彼はニヤリとして「ああ、レディ・キロワットだ」と言った。レディ・キロワットは当時の彼のニックネームだった。


ジェリー・ガルシア(撮影:マイケル・オニール 1987年)

© Michael O’Neill

1987年7月発行のローリングストーン504号の表紙は、ロゴにバラの棘をあしらい、「グレイトフル・デッドの新たな夜明け」とのヘッドラインが踊った。その年の夏に行われた6日間のボブ・ディランとグレイトフル・デッドのスタジアム・ツアーに合わせ、折り込みカバーの写真をマイケル・オニールが担当した。

オニールは、カリフォルニア州サン・ラファエルのフロント・ストリートにあるバンドのオフィスへ、準備のため派遣された。フォトエディターのローリー・クラトフヴィルは、グループ写真のほか、各メンバーのポートレートもリクエストした。

「皆、ディランも来るものだと思っていた」とオニールは振り返る。「ディランとバンドのポートレートになるはずだった。しかしディランは現れなかった」

グループ写真の撮影に続き、オニールはメンバーそれぞれのポートレートを撮影した。「このポートレート(上)の気に入っている点は、ジェリーがジェリーらしく写っているということ。このジェリーは、僕と一緒に吸うためにマリファナに火を点けているようにはとても見えない。ここには自然体の彼がいる。彼は、ジョーク好きや悪戯っ子やハッピーな奴を演じようとはしなかった。彼は深く思いふけり、マリファナはそのトリップのお供に過ぎない。その目には“いったいどうしたんだい?”とでも言いたげな好奇心が浮かんでいる」

この写真は、オニールが撮影したグレイトフル・デッド写真のベストセラーとなった。今回の写真集の検討用にオニールは、40ページ近いコンタクトシート(写真一覧)を編集担当のジョシュ・バロンに提出した。今回採用された8枚の内のほとんどは、これまで未公開のものである。

Translated by Smokva Tokyo

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