『マジカル・ミステリー・ツアー』:ビートルズのサイケなアルバムに秘められたストーリー

これら3曲は、翌週から主要部分の撮影が開始された映画用に作られたものだった。映画製作に関してはLSDに関するいくつかのコンセプトがあっただけで、台本は存在しなかった。9月11日〜15日まで、イングランドの西部地方とその周辺をサイケデリック・バスで旅行し、所々良さそうな場所で止めて撮影した。そして9月16日夜、EMIのスタジオへ入り、エプスタインの死の数日前に始めていた「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のレコーディングを完了した。翌週はまた撮影を続行し、ストリップクラブで「デス・キャブ・フォー・キューティ」を演奏するボンゾ・ドッグ・ドー・ダー・バンドなどを撮影した。(後に曲と同名のロックバンドが存在するが、この曲がバンド名の由来だとされている。)映画監督の初心者だったビートルズは、1週間もあれば、撮影した10時間分の映像を何とか使える形に編集できるだろう、と考えていた。

しかし実際には、11週間かかった。原因の一端は、メンバーそれぞれが映画に対して別々の意見を持っていたことにあり、さらに、いくつか大切な素材を撮影し忘れており、再度撮影しに戻ったりもした。その合間の9月25日〜10月25日にはアビーロードで何度かセッションを重ね、9月初めにスタートした前出のサイケデリックな3曲の仕上げにかかった。さらに、マッカートニー作の「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」と「ハロー・グッドバイ」もレコーディングした。「ハロー・グッドバイ」は「アイ・アム・ザ・ウォルラス」をB面に、シングルとして1967年11月24日にリリースされている。

映画『マジカル・ミステリー・ツアー』は1967年12月26日、BBCで放映されたが、ビートルズとして完全に失敗した初のプロジェクトとなった。BBCがカラーでなく最初にモノクロで放送したこととは関係なく、評判は散々なものだった。「僕たちが本来の役割を逸脱していると思われているんだ」と数カ月後にレノンはこぼしている。「僕たちは、厚紙で作られたお仕着せのスーツを着て、どんな要望にも応えなきゃいけない存在なんだ。僕たちがそれに応えられないときはいつでも、とても失望される」

一方、アルバムとしての『マジカル・ミステリー・ツアー』は、米国内のチャートでは8週に渡りトップをキープし、最終的に6×プラチナを記録するなど、文句ない成功を収めた。本質的にカラフルかつ黙想的で、愛情を感じられると同時に、バッド・トリップとグッド・トリップの両面を含む、幅広く洗練されたビートルズの“サイケデリック”がここに凝縮されている。

Translation by Smokva Tokyo

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