ビートルズのインド訪問50周年、あなたが知らない16の歴史的トリビア

9.インドはジョンの最初の結婚を救えなかった。

リシーケシへ旅立つ前、オノ・ヨーコがレノンの人生に登場したことによって、レノンと妻シンシアの結婚生活は緊迫したものになっていた。シンシアは2005年の著書『ジョン・レノンに恋して』で、インドへの旅は彼らの二度目のハネムーンとなり、インドで夫婦仲がもとに戻ると思っていたと述べている。しかし、実際はそうならなかった。彼女は「ジョンはどんどん冷たくなり、二人の距離は離れる一方だった。ジョンは早朝に起きて一人で部屋から出ていった。私ともほとんど口をきかず、1〜2週間後には十分な空間が欲しいから一人部屋に移りたいと言い出した。その時から彼はあからさまに私を無視し始めた。プライベートでも、公でも」と書いている。

シンシアが後で知ったことは、ジョンは毎朝郵便局に行ってオノからの手紙を待っていたという事実だった。1970年、ジョンはローリングストーン誌の記者ジャン・ウェナーに、この旅にオノも連れてくる予定だったと明かしている。そうしなかった理由は「妻とヨーコの二人を連れて行ったら自分の神経が参ると思ったから。上手くやる方法なんて知らなかった(笑)。だからしなかった。ヨーコは置いていった」ということだ。

10. バンガロー・ビルは実在した。

彼らがインド滞在中にトラが殺される事件が起こり、これにインスパイアされたレノンが書いたのが「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」だ。この曲は『ホワイト・アルバム』に収録されている。

スティーヴ・ターナー著『The Complete Beatles Songs: The Stories Behind Every Track Written by the Fab Four』によると、大学を卒業したアメリカ人のリチャード・A・クック3世が、母親のナンシー・クック・デ・エレーラを訪ねて僧院に行った。二人はナイニタールを像に乗って旅しながらトラ狩りをしていた。そして、トラが飛びかかってきた時、リチャードがそのトラを撃ち殺したのだった。トラを殺したことに罪悪感を感じたリチャードは、母と共にマハリシに出来事を話した。その場にジョンとポールもいて、会話に加わっていた。「マハリシは自分の信奉者が僧院の外に出て、トラ殺しをしたことに愕然とした様子だった」と、リチャードが後に語った。ナンシーが説明を加えた。「そしてジョンが『それは命を奪う行為だと思わないか?』と聞いてきた。そこで私は『でもね、ジョン、あの時は殺るか殺られるかだったの。トラは私たちの頭上から襲いかかってきたのよ』と答えたわ」 

歌詞の中にはリチャードとナンシーを描写した表現が幾つかある。例えば「彼は像と銃と共にトラ狩りに出かけた/事故を恐れて、彼はいつも母親をお供させた」や、「殺しに見えるけど、あの時は殺るか殺られるかだった」がそうだ。リチャードは歌詞に描かれている「サクソン人の母親を持つアメリカ人の頑固な息子」というバンガロー・ビルは自分がモデルだと認めた。そんな彼は、後にナショナル・ジオグラフィック誌のフォトグラファーになった。

Translated by Miki Nakayama

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