カート・コバーンの娘フランシスが挑んだ、父の真の姿を伝えるという使命

幼少期のカートの姿を収めたホームムービーは、彼の母親から提供されたものだ。「彼女の協力なしでは、この映画は成立しなかった」モーゲンはオコナーへの感謝の気持ちをそう口にする。「初めてアバディーン高校のフットボールマッチを観に行った時の半券なんて、彼が4歳の頃のものなんだよ」過去にはバーテンダーとして働いていたキム・コバーンは、カートに関する資料の収集と管理、および各資料の作成日や背景の特定に尽力し、本作には「写真および各種資料コーディネーター」としてクレジットされている。「彼女にも助けられたよ」モーゲンはそう話す。「彼女はカートに最も近い人物の1人だからね。ランチを共にしながら、いろんな話を聞かせてもらったよ」それでもモーゲンは、最も大きかったのはやはりフランシスの存在だと話す。「彼女こそが精神的支柱だった。カートの娘の頼みを断れる人物なんていないからね」

本作に収録されなかった素材のひとつに、ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロールのインタビューがある。グロールが『ソニック・ハイウェイズ』の制作に追われていたため、インタビューは12月まで先延ばしにされていた。しかしその頃には、モーゲンは必要な素材はすべて出揃ったと感じていた。編集作業後になってグロールのインタビューを挿入することも検討されたが、最終的には見送られることになった。「作品は完成していた。これ以上手を加える必要はないと判断したんだ」

昨年、フランシスがモーゲンのオフィスで同作を初めて観た時、映画はまだ未完成であり、劇場公開版よりも長かった本編にはアニメーションが一切登場しなかった。彼はティッシュの箱を残し、彼女を独りにしようと部屋を出た。「戻ってきた時には、ゴミ箱がティッシュで溢れかえってたよ」モーゲンはそう話す。彼女はその場で、作品の公開を許可する書類にサインしたという。モーゲン曰く、彼女の一番にお気に入りのシーンは「画面が真っ暗になるあの瞬間」だったという。『モンタージュ・オブ・ヘック』のラストに登場する、1993年11月に行われた『MTVアンプラグド』での『ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト』のパフォーマンス後、画面には黒のバックに白い文字で「ローマから戻った1ヶ月後、カート・コバーンは自ら命を絶った」という文章が浮かび上がる。彼が唐突にこの世を去ったことを示すかのように、本作のエンディングにはコーダもトリビュートもない。


David LaChappelle for Rolling Stone

「父の死に関する情報はいくらでもあったはずなのにね」フランシスはそう話す。「でもブレットは何ひとつ使わなかった。そのうちの99パーセントは、ただロマンチシズムと神格化を煽るものだったから」

モーゲンが8年間にわたって取り組んだ同作が完成したのは、サンダンス映画祭の開催数日前だった。「最後の『アンプラグド』のシーンまで編集を終えると、僕はバスルームに行って膝をつき、ただ涙を流し続けた」彼はそう話す。「それは作品が完成したからじゃない。彼がもうこの世界に存在せず、二度と会えないという悲しい事実を、改めて突きつけられたからだ」

「僕は彼に会ったことはない」モーゲンはそう話す。「多くの人々がなぜ彼を守ろうとするのか、僕にはよく分かる。『彼はこの映画の公開を望んでいるだろうか?』『自分にそんな権利があるのだろうか?』僕自身、ずっとそう自問自答し続けているんだ」

彼はこう続ける。「でも、彼自身がその判断を下すことはもうできないんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE