ア・パーフェクト・サークルが語るコーチェラの思い出、そしてバンドの未来

ー当時はア・パーフェクト・サークル(以下APC)が結成されたばかりで、デビューアルバムの制作中だったと思います。

キーナン:そうだな、ライブもまだ数えるほどしかやってなかった。ウィスキー(・ア・ゴー・ゴー)とヴァイパー・ルームでの試運転的なやつを除けばだけどね。コーチェラはいつもそうだけど、あの日もすごく暑くて、演奏中にベースアンプが火を吹いた。おかげで『ジュディス』を演れずじまいだったんだ。

ハワーデル:ベースアンプは直射日光に晒されてたんだ。『ジュディス』を演り始めた瞬間、真空管が破裂したんだよ。最後の曲だったのにさ。俺たちは無名だったけど、5000人、いや7000人くらい集まってたんじゃないかな。あれはバンドにとって4回目のライブだったはずさ。

ーオーディエンスの反応はいかがでしたか?

キーナン:演奏に集中してたから、まったく覚えてないんだ。実際には客は70人か700人だったのかもしれない。ベースアンプから出る煙のせいで、よく前が見えなかったしな。

ハワーデル:馬鹿げた格好でステージに立ったのを覚えてるよ。オーディエンスの反応は良かったよ、みんな楽しんでくれてるようだった。客も大勢集まったし、記念すべきコーチェラの幕開けを飾れて光栄だったね。

ー APCのパフォーマンスの翌日に、トゥールとしてステージに立ってみていかがでしたか?

キーナン:24時間以上空いてたから、問題なく気持ちを切り替えられた。ライブは楽しんだよ。

ハワーデル:メイナードは地に足のついた人物だと思う。フェスのヘッドライナーでありながら、彼は威張り散らしたり、尊大な態度を取ったりしない。

ートゥールとレイジのライブで一部の客が暴徒と化したことで、コーチェラは以降数年間、ヘヴィロックのバンドを敬遠するようになりました。

キーナン:ちょっとビビらせちまったからな。(コーチェラの創始者)ポール・トレットと故リック・ヴァン・サンテンのことはリスペクトしてたよ、彼らはやるべきことを自覚してたからね。アメリカじゃ長続きしないフェスが多いけど、彼らはヨーロッパのフェス文化を体験し、そのノウハウを学んだ。だだっ広い荒野に大量のトラックを配備して、泥まみれになって喜んでるガキしかいないようなフェスとは大違いさ。土ぼこりとドラッグにまみれながらラウドな音楽を楽しみたいだけなら、バーニングマンに行けばいいんだ。コーチェラにはもっと多様な魅力がある。

誰もが楽しめるフェスティバルにしようと、彼らは心を砕いてた。アメリカでフェスをやるのは簡単じゃない。主催者はアーティストやオーディエンスを満足させるだけじゃなく、勘違いしてるハリウッドの住人たちの顔色も窺わないといけないからな。中には立派な人間もいるけど、大半はそうじゃない。

ー意外な人物が訪れることも少なくありません。クリント・イーストウッドは何度か目撃されていますよね。

キーナン:(2013年に)プシファーが出た時は、客席の最前列にダニー・デヴィートがいたよ。やつは筋金入りの音楽好きだからね、ここには何度も来てるはずさ。

Translated by Masaaki Yoshida

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