魑魅魍魎のジョニー・デップ裁判、本人が内情を明かした密着ルポ

姉クリスティ以外の家族をデップは信用することができなかった。デップの経済的な失敗を招いた一番の原因が彼らのようだ。デップは好物のツナとコーンのサンドウィッチを食べながら、オーエンズボロにあった母ベティ・スーの農場が金食い虫となった経緯を話してくれた。彼の説明によると、農場を買った直後にデップのもう一人の姉とその夫が農場に引っ越し、農場の管理者として雇われた。のちに彼らの息子も従業員として給料を得るようになった。(その頃のデップは元パートナーのヴァネッサ・パラディと彼らの子どもたちジャックとリリー・ローズを援助していて、彼らはデップが彼らのために購入したフランスの一軒家に住んでいた。)

デップによると、事実を何年も隠した挙げ句、デップの家族が暮らすケンタッキーの農場の金遣いの荒さが手に負えなくなったことを、マンデルがデップに打ち明けたと言う。そこで、デップは農場の経費の一覧を送ってくれとマンデルに頼んだ。その書類データが届いたとき、デップはジャック・スパロウのメイクと衣装をつけていて、アシスタントに書類をプリントするように指示したが、アシスタントは「ムリです」と答えた。

「200ページ以上あります」とアシスタントが言ったのだ。

デップはマンデルに電話して、何が起きているのか説明してくれと頼んだ。

「(姉が)母親のためにハンドバッグを買ったんだって。母親はずっと寝たきりだったのに。それに宝石とか、あれこれ、何でも買ってやがった」とデップ。

2013年に、デップは母ベティ・スーが末期がんに冒されていると告げられた。デップは母親をロサンゼルスに呼び寄せ、家賃が月3万ドルの家を借りたが、これに農場の経費を加えると、彼が支払える上限よりも遥かに高額だった。治療の成果か、予想外にベティ・スーの病状が好転したので、デップはマンデル兄弟に借りている家の解約を依頼し、ベティー・スーをケンタッキーの農場に戻すことにした。しかし、その後も毎月3万ドルの家賃を請求され続けたと言う。デップによると、その理由はマンデル兄弟が家の解約をし忘れたためらしい。(TMGの見解では、マンデルはデップの指示通りに家賃交渉をしただけで、契約上、家主への通達は4ヶ月前までになされる条件になっていた。)

ベティ・スーは2016年に他界した。そこで、私はデップに農場を売ったのかとたずねてみた。すると、家族がまだ住んでいると彼が答えた。

「あの連中は、俺が永遠に面倒見ると思っていて、あの農場は自分たちのものだと思いこんでいる。そんな約束なんて一度もしていないのにね」とデップ。

それを聞いて、私は常識的な質問を投げてみた。つまり、デップ自身が農場に電話をして、彼らに援助の即時停止を伝え、クレジットカードをとめなかった理由は何かを聞いてみた。

デップは眉間にしわを寄せて、困惑したように見えた。それはTMGの仕事だと思いこんでいるようで、「だから彼らに金を払っていたんだぜ」とデップが言った。

皮肉なことに、デップの家族のクレジットカードを停止すること以上にジョエル・マンデルが喜ぶことはなかっただろうとマンデル兄弟は反論した。ただ、ジョニーの決心がつかなかっただけだ、と。私はホテルに戻って、デップの裁判記録を読んでみた。マンデル兄弟に対する告訴の中にケンタッキーの農場の件は一切触れられていない。

デップのケースは、新たな支出に関して許可を出せるのが彼以外では姉クリスティが唯一権限を持っていた事実にもかかわらず、事態が手遅れになるまでデップに一切知らせがなかった点に重きが置かれている。そして、マンデル兄弟はデップの論点を間接的に攻撃するメールやメモを作り出していた。2008年、デップはハリウッドヒルズにある自宅の横の家を買うつもりだった。マンデルは、家を買うには時期が良くないが経費を削減すれば可能だとデップに伝えた。デップはそれに対して「この家を買わないとダメなんだ」と返信した。

その返信の中でデップは、相当のパケットを使う膨大な情報を送ってきたメンデルを非難しつつ、自分の財政状況を知らないことに完全に困惑していると伝えていた。

デップが自分の経済状況が危機に瀕していると知っていたと示す兆候もいくつかある。マンデルは2008年にサブプライムローン発端の世界的金融不況が襲ったとき、再びデップにメールを送って、彼の財政上の欠点を伝えた。それと同じメール内で、デップがハリウッドヒルズの家を買うと言い張っていることに対して、彼のエージェントと弁護士のブルームと話し合って状況を改善すると言っている。「トレーシーとジェイクに電話して、滑稽なディールでグラスを満たして、なんとか溢れさせる準備をさせるよ」と。

TMGのスタッフにデップが所有する複数の自宅の経費を軽減する任務が任された。2009年1月、デップはマンデルに連絡して、デップの出費を制限したこのスタッフを即刻はずすように要求したのだった。証拠として提出されたマンデルのメモによると、同年の後半にマンデルはさらに悪化した財政状況について話し合う必要があるとデップに提案している。この前年、デップは12ヶ月間の休暇をとっていた。しかし、翌日クリスティがマンデルに電話して、デップは話し合いをしたくないし、どう対処したらいいか知っていると伝えてきた。

マンデルのメモによると、クリスティは電話でこう言った。デップは自分のライフスタイルを維持するために「馬車馬のように働かなくてはいけないことを承知している」し、現在の厳しい状況を脱するためにマンデルができることをすべてやってほしい、と。

同年11月、デップが次の映画の出演料をもらう前に支払わなければいけない金額を確保するためにローンを組むことを、マンデルとクリスティが話し合った。しかし、デップにローン契約に署名させるのは困難だと、クリスティは返信している。「署名をしてもらう前に彼が去ってしまった……いつも部屋に誰かがいて、彼が一人になる時間がまったくない」と。

マンデルは再びデップにメールして、デップの休暇中の支出を確認してくれと頼んだ。それに対し、デップは2009年12月7日に以下のように返信している。

「親愛なるジョエル、まず俺を救うために手配してくれてありがとう。次に、休暇中の支出に関しては最善を尽くしているが、俺にできることはたくさんあるよ。俺は子どもたちと家族にできるだけ良いクリスマスを与えないとダメなんだ。その理由はいわずもがなだ。でも飛行機に関しては……現時点では選択肢は多くない。パパラッチが潜入している航空会社の飛行機での移動はとんでもない悪夢になるだろうし……それ以外でできることは何だろう??? アート作品を売った方がいいか? いいよ。それ以外でも売って欲しいものがあるか? もちろん売るよ。何を売ればいい???」

裁判所の書類によると、2010年1月になってもマンデルはローンの契約書への署名をデップに要求していた。マンデルがクリスティに「銀行残高がマイナス400万ドルだ」と伝えると、デップはローン契約に署名した。

デップの友人が彼自身の浪費から彼を救おうとしたときも、デップは頑固だった。2010年、デップは自身のレーベル、ユニゾン・レコードをスタートさせたが、2014年には400万ドルから500万ドルの損失を抱えていた。同レーベルの社長を務めていたデップの友人ブルース・ウィトキンは損失を謝罪して、レーベルを畳むことを提案したのだった。ウィトキンはデップをペットの名前と同じバハと呼んでいた。これに対し、デップはブウージーと呼んでいたウィトキンに、レーベルを続けること、世間が自分の才能を理解するのに20年かかったことを伝えたのである。しかし、このレーベルはそれから1年後に閉鎖することとなった。

デップの浪費癖は歳を重ねても変わることはなかった。TMGが提出した裁判所類の中に「反省会」という文字があった。これは2012年にマンデルが手配したミーティングで、マンデル、デップ、ブルームの3人がハリウッドヒルズにあるデップの屋敷に集まった。この屋敷はデップが購入した5軒の家をまとめた郊外の不動産である。マンデルは、デップの意識がはっきりする午後遅くにミーティングを開始することにした。ジョエル・マンデルはデップの状況の概要を1ページにまとめて提示し、何かを変えないとデップ本人も彼の子どもたちも将来的に危険な状況に陥ると指摘した。このとき、デップは渋々ヨットを売ることに同意したが、その後、マンデルとの関係が切れるまで、彼はヨットの売却の不満をしつこくマンデルに言い続けたのだった。

この「反省会」は事実、彼らにとって終わりの始まりだった。その後3年間、彼らの関係はふらふらしながらも続くことにはなるが。TMGの反抗訴訟の訴状によると、2015年にマンデルがデップに切迫した状況を訴え、デップはそれにテキストメッセージで返信してきた。「自分がやってきたことの報いを受ける準備はできている。どんなことをするにしても……この穴から抜け出す方法があると確信しているし、そうするつもりだ」と。しかし、状況は一向に改善しなかった。2015年8月、マンデルはデップのスタッフに旅行の経費、車のレンタル、タウンカー・サービスの経費を抑えるために新たなルールが必要だと伝えた。

2015年後半、マンデルとアドバイザーたちはデップに映画2作品に出演し、仏サントロペにある不動産アモーを売るように伝えた。それも、前の負債を返済するために組んだ何百万ドルのローンを返済するためには素早く行わないといけない、と。これはデップの注意をひいたようで、彼は自分が破産しているのかとマンデルに確認してきた。

しかし、デップは意見を変えたようだ。当初アモーの売却に同意していたデップだったが、泣きながら電話してきた娘リリー・ローズの声を聞いて売るのをやめたのである。彼女は子供時代を過ごした家を売ってほしくないと父に訴えた。葛藤したデップは自身のイライラをマンデルに八つ当たりした。「聞いてくれ、あんたと俺は顔を合わせて話し合わなきゃダメだ。あんたはこの状況になった経緯を説明しろ。土壇場で連絡されても困る。連絡するならもっと早い段階で連絡してくれ」とマンデルに言ったとデップが教えてくれた。

Translated by Miki Nakayama

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