プリンスは望んでいるのか?遺産管理人たちによる権利ビジネスの行方

遺品保管庫で金脈を探す

プリンスの遺品の中で最も重要なものは何をおいても彼の音源だ。2017年、発表済み・未発表両方のスタジオ音源、ビデオ、コンサートの記録映像、手書きの譜面や手紙などの思い出の品々がロサンゼルスの保管施設に輸送された。(当初はジョン、ノーリーン、シャロンのニルセン兄弟姉妹が異論を唱え、テープの取り扱いを誤り、彼らの許可なく西海岸に輸送した件でコメリカを訴えていた。「この素材にとって最適の場所はペイズリー・パークだ」と、当時の彼らの弁護士が告訴状に書いていたが、裁判所はコメリカ側を支持した。) 現在、移された遺品はすべて、温度と湿度が調整された部屋の中で工業用の棚に置かれて保管されている。この部屋に入るときには必ず警備員が同行し、これはカーターやハウも例外ではない。

さらに、音楽・映像素材はすべてデジタル化されたが、まだ確認とリストアップ作業が終わっていない。これは簡単にできる作業ではないのだ。70年代のアナログテープからハードドライヴ、カセットテープまで、素材はあらゆるフォーマットで保管されている。ハウによると、保管庫に移された音楽素材のうちの10〜30%はラベルがないか、間違ったラベルが貼られていた。ハウはすでに「数百」という曲を見つけたが、この分だと一度も聞いたことのない曲が1,000曲になるかもしれないと予想している。「多数のアルバムを作るのに十分な曲」があるだろう、と。そして、この他にコンサートを記録したテープも存在し、中にはツアーの全公演を記録したものもあると言う。

割り合い的には少ないが「非常に可笑しいもの」もあるとハウが教えてくれた。プリンスと初期のバンド仲間の冗談の応酬の動画などだそうだ。「プリンスにはいたずら好きで屈託ない気質もあるのだが、本物のスーパースターになったことでその気質が隠れてしまっていた。緊張感漂うオーラをまとっていた男のお茶目な面を垣間見られるものだ」と、ハウが説明した。

カーターは最初の仕事として、4月に「Nothing Compares 2 U」のデモのリリースに許可を出した。これは若かりし頃のプリンスが登場するビンテージ動画と共にリリースされ、プリンスの音楽に馴染みのない若い音楽ファン(もしくは、シネイド・オコナーのバージョンは知っていても、プリンスの楽曲と知らない人たち)を取り込むことを目的としていたのである。YouTubeで公開された動画はすでに500万回以上再生されている。

ペイズリー・パークからロサンゼルスのアイアン・マウンテンという保管施設に一つの箱が発送された。この中に入っていたのは8000本のカセットテープ。ハウはプリンスの熱狂的なコレクターの間で広まったあるテープの噂を耳にしていた。このテープで、プリンスは自宅のピアノでソロ・バージョンの「Purple Rain」、「17 Days」、そしてジョニ・ミッチェルの「A Case of You」を演奏していると言う。保管庫に送られたアイテム一つ一つに割り振られたバーコードと検索エンジンを活用して、ハウは探偵よろしく、このテープを探したのである。そして、8000本の中からラベルが貼られていない1本のTDKのカセットテープを探し当てた。「そのカセットを手にして、『うわー、探していたのはこれか』と思ったね」とハウ。9曲収録された35分のカセットは、その当時プリンスとコラボレーションしていた人間にとっても驚きだったようだ。「すごいものを見つけたわ、本当に最高よ」と、エンジニアのスーザン・ロジャースが言う。彼女はこのカセットが録音された直後からプリンスと仕事を始めた。「彼は一人で楽しみながら演奏していて、そのパフォーマンスが完璧なの。ボーカルを聞くだけで全身の毛が逆立つくらいよ」と述べた。ハウはカーターとプリンス・エステートにこのテープを聞かせると、彼らはプリンスの遺産からの最初の公式リリースをこれに決めた。2016年のプリンスの最後のツアーは歌声とピアノだけのパフォーマンスだったため(ツアー名が「ピアノ・アンド・ア・マイクロフォン」だった)、カーターは1983年に録音されたこの音源によって彼の音楽が一巡すると感じたのである。「基本的に遺産相続人たちに伝えたことは、プリンスの最後のパフォーマンスが『ピアノ・アンド・ア・マイクロフォン』だったから、彼の始まりがこれだったことを大衆に知らせるのはどうだろう?と言うことだった。プリンスの熱狂的なファンは彼の実力のすごさを知っているけど、もっと広いリスナーに彼の本当の才能を伝えることが特別なことになるだろうってね」と、カーターが説明してくれた。そのテープは、現在「Piano and a Microphone 1983」というタイトルになり、9月21日にリリースされる予定だ。

「これから人々がこの音楽を聞くの。プリンス基準に達してなくてもね。兄はこの音源を埋もれたままにしたいとは思わないはず。公開したかったはずなの。私次第だというのであれば、今後数百年、数千年に渡って毎年何かをリリースし続けることでしょう」


タイカ・ネルソン(photo by Shutterstock)

1983年のテープを出発点に、タイカ・ネルソンは、エステートは作品が作られた年代順に毎年プリンスの未発表曲をリリースしていくつもりがあると言う。一方で、彼女は1983年以前の音源のリリースもどこかで行われ、ファンの期待を裏切らないとも言っている。(ある情報筋によると、1983年8月にミネアポリスのファースト・アヴェニューでプリンスがザ・レボリューションと行った伝説のライブは、アルバム『Purple Rain』の基盤となったもので、今後のリリースが期待される音源の一つらしい。)

「彼にはたくさんの音楽があり、彼は自分の音楽を公開することを望んでいた」とタイカ。そして、「これから人々がこの音楽を聞くの。(クオリティが)プリンス基準に達していなくてもね。兄はこの音源を埋もれたままにしたいとは思わないはず。公開したかったはずなの。私次第だというのであれば、今後数百年、数千年に渡って毎年何かをリリースし続けることでしょう」と続けた。

2019年にはプリンスの遺品保管庫に保管されている音楽コレクションがジェイ・ZのTidalで配信される予定になっている。コレクションの詳細はまだ不明だ(タイカ・ネルソンとカーターはこの件への言及を控えている)。また、タイカが言うには、彼女の兄は自分の名前を冠したホテルを開業するアイデアを語っていたらしい。「兄が持っていた一つのアイデアだったけど、数年前にそのアイデアを彼のアシスタントに話していたの。将来的に投資したいと思っているのがこのアイデアよ」とタイカ。

Translated by Miki Nakayama

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