中川翔子×長井龍雪「印刷会社の営業マンからアニメ監督に…異色の経歴に迫る」

長井:今でこそ高学歴の人たちが働いてますけど、2000年代アタマくらいまで「制作進行」はただの作業員扱い。バイト情報誌とかで募集してたんですよ。「要普通免許」の誰でもいけるバイト。「営業はもう嫌だし、デスクワークならじゃあやってみよう」と軽い気持ちで受けたら採用されて(笑)。最初は下請け会社だったのですが、最初に手がけたのが『デビルマンレディー』(1998年)でした。

中川:当時はもうデジタルでしたか?

長井:ちょうどアナログからデジタルへと移行する過渡期でした。そう、過渡期だったからこそ、「スキマ産業」がたくさんあったんですよね。例えば、その頃は撮影前の何千枚とあるセル画を1枚1枚チェックしていく、気の遠くなる作業があって(笑)。とても1人ではできないので、「演出助手」という人がいたんです。

中川:そうだったんですね。確かに、デジタルになったらそういう手作業は圧倒的に少なくなりましたよね。アニメーションを作るということ自体のハードルも下がった気がします。

長井:そうですね。「アニメで何かを表現したい」っていう人たちが、埋もれず出てこられる世の中にはなったと思います。僕らの先輩たちは、なけなしの金でセル画を買ってきて、自分たちで自主アニメを作るみたいな。それこそ庵野秀明さんをはじめとするガイナックスの人たちは、みんなそんな感じですよね。それが今は、全てパソコンで出来てしまう。YouTubeで「オリジナルアニメ」で検索かけると、すごい数の作品が存在します。誰でもできるからこそ、個人の情熱が今は試されているのかもしれない。「作れる環境があるんだから、作らなかったら始まらない」っていう。

中川:環境やお金を言いわけにできないわけですもんね。すごい、この20年で世界はガラッと変わったんですね。

※本記事は「中川翔子のポップカルチャー・ラボ  presented by FUN’S PROJECT」からの転載です。続きはこちらでチェックできます。


長井龍雪
1976年、新潟県生まれ。木村真一郎のもとで演出を学び、2006年放送の『ハチミツとクローバーⅡ』で監督デビューを果たす。以降『とらドラ!』や、サンライズの創立35周年記念作品『アイドルマスター XENOGLOSSIA』などで監督を務める。2011年に放送されたオリジナルアニメーション『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は社会現象にもなり、第62回芸術選奨新人賞メディア芸術部門を受賞。のちに劇場公開された映画は興行収入10億円を突破した。その後も『あの夏で待ってる』、『心が叫びたがってるんだ。』などヒット作を作り続けている。


中川翔子
女優・タレント・歌手・声優・イラストレーターなど、多方面で活躍。東京2020大会マスコット審査員や、2025年万博誘致スペシャルサポーターとしても活動中。また、近年は女優として積極的に活動を行い、2015年朝の連続テレビ小説『まれ』、2017年TBS系『あなたのことはそれほど』、2018年ミュージカル『戯伝写楽2018』、NHKドラマ『デイジー・ラック』などに出演。音楽活動では、9月23日に渋谷ストリームホールのこけら落としコンサートを開催予定。
http://www.shokotan.jp/

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