『アメリカン・サイコ』の生みの親が、リベラル系メディアを嫌う理由

ーゲイとして、結婚する権利が突然剥奪されたらどうでしょう? 根本的なレベルで怒りを感じるでしょうか?

それは、私がアイデンティティ政治を信奉し、自分のペニスによって賛否の意思を表明することを意味している。移民、経済やその他の政策が、私が男性と結婚できるかどうかという問題よりも重要度がかなり低い、ということを示唆している。私が心配するようなことではないし、気にもしていない。それはアイデンティティ政治に関する問題で、ヒラリー・クリントンをトラブルに巻き込んだ原因でもある。ヴァギナを持つ人間はヒラリーに投票すべきだった、という理屈だ。多くの人々の信条に深く浸透し、そして退かざるを得なくなった。人々は、ひとつの問題だけを取り上げて投票する訳ではない。私はゲイとして投票するつもりはない。同性同士の結婚が許されない、ということはないと考えている。ペンスには問題があるが、トランプはとにかくアンチ・ゲイの大統領ではない。私のゲイの友人の中には、トランプの特定の政策を支持し、投票した者もいる。ゲイであることや、婚姻が認められるか否かとは関係のないことだ。



ー我々はパトリック・ベイトマンの見る夢のアメリカに生きているのでしょうか? トランプは『アメリカン・サイコ』の非情な退屈さをまさに体現しています。

大統領選の晩に私は「パトリック・ベイトマンがどこかでほくそ笑んでいる」とツイートした。私はこの言葉がどのように捉えられるかわからなかったため、投稿を削除することにした。世界を揺るがす事態が起きたことはわかっていた。それは私をナーバスにした。しかし確かに、ベイトマンの見る夢のアメリカなのだ。私はこれまでそこに関連性を見出したことはなかったが、あなたの質問に関しては「イエス」だ。ベイトマンはトランプを崇拝する。彼のアイドルは大統領なのだ。トランプが勝利したとき、アメリカン・サイコの見出しが多く見られたことからも、多くの人々がその関連性を感じたことと思う。

ー2018年、小説『Glamorama』が出版されてから20周年を迎えます。この小説は、過剰なセレブ文化、セルフィー世代、さらに国内外におけるテロの増加までをも予見しました。

この小説は1990年に書き始め、1998年に完成した。インスタグラムに登場するセレブやセルフィーへの執着など、ここまで核心を突くとは思っていなかった。私がこの小説を手がけていた90年代には既に、セレブだらけの文化になっていたのだと思う。今では意味のない、くだらないスターダムへの扉を開け、20世紀のセレブたちを皇帝や女王のように仕立てた。それは普遍的な熱狂のようなものだ。そこにあまりにも気を取られていると、のんびりした生活を送り、重要事項に集中するという目標を忘れることとなる。

ー最後に小説を出版してから8年が経ちました。映画『ザ・ハリウッド』は酷評され、脚本を手がけた『The Curse of Downers Grove』はほとんど反響がありませんでした。文化的に軽視されることは、あなたにとって最も恐れることでしょうか?

いいや、最も恐れることではない。それにこの8年間は幸いにもとても忙しくしていた。文化的に軽視されようが構わない。自ら文化的に重要視されることはできない。自分らしくいるしかない。デビューしてから約33年になるが、文化的に重視されるためには、少し嫌われるくらいでないといけないのだと思う。そんなにも長い間、完全に愛される存在でいることはできないだろう。一人の人間として否定されることもあるだろうが、それこそ自分の人格の一部だ。私の作品は人々を苛立たせ、私の社会的人格は人々を怒らせてきた。私は自分に正直でいなければならない。さもなければ幸せな生活を送ることはできないが、私は幸せだ。今は20代や30代の頃よりもずっと幸せで、これまでの人生で最高だ。はっきりとした理由はわからないが、しかしそれが現実だ。

Translated by Smokva Tokyo

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE