マイクロソフト共同創業者ポール・アレン逝去ー音楽を愛し、人々から愛された人生

ポップカルチャー・ミュージアムを設立し、音楽界にも貢献したマイクロソフト共同創業者のポール・アレン(Photo by Kim Kulish/Corbis via Getty Images)

マイクロソフトの共同創業者で「ポップカルチャー・ミュージアム」を設立し、音楽業界にも貢献したポール・アレンが癌のため65歳でこの世を去った。音楽を心から愛し、人望のある人格者だったアレンと幼馴染のビル・ゲイツは、「真のパートナーであり、親友だった。彼なしには、この世にパソコンは存在しなかった」と追悼のコメントを発表した。

マイクロソフトの共同創業者で世界屈指の富豪となったテック界の大物ポール・アレンが、2018年10月15日に亡くなった。65歳だった。アレンの設立したヴァルカンInc.による発表によると、非ホジキンリンパ腫が原因だという。

アレンの妹ジョディは声明の中で「ポールは全てにおいて秀でた人でした。多くの人にとってポール・アレンは、科学技術者であり慈善事業家だったでしょう。でも私たちにとって彼は愛すべき兄であり、伯父であり、かけがえのない友人でした。ポールの家族や友人は、彼のウィットや温かさ、寛大さや深い思いやりに触れることができとても感謝しています。どんなに忙しい時でも、彼は家族や友人のための時間を作ってくれました。家族、友人、そしてその他多くの人たちにとって悲しい出来事ですが、彼が日々示してくれた気配りと思いやりには心から感謝しています」と述べている。

「マイクロソフトをはじめ業界やコミュニティに貢献してくれたポール・アレンは、なくてはならない人だった」と、マイクロソフトのCEOサティア・ナデラは、会社を代表して声明を発表した。「マイクロソフトの共同創業者として、物静かで根気強い彼は、魅力的なプロダクトやエクスペリエンスや組織を作り出してきた。そうやって彼は世界を変えたのだ。彼から学ぶことは実に多かった。彼の知的好奇心や高みを目指す努力は、これからも私やマイクロソフトの皆をインスパイアし続けるだろう。ポールのご家族に深い哀悼の意を表する」

アレンは1951年、シアトルに生まれた。高校の時にビル・ゲイツと出会い、コンピュータ好きの2人は意気投合した。1975年、2人はマイクロソフトを起業するために大学を中退。それから5年後マイクロソフトは、IBM向けのオペレーティング・システムの開発契約を締結した。テック・ジャイアントへの道の始まりだった。

しかしそれから間もない1983年、アレンはマイクロソフトを離れたが、役員に名を連ね株式を保有し続けていたため、1986年に同社が株式公開した際に大きな利益を得た。アレンはまた、ヴァルカンをはじめいくつかの企業を立ち上げ、投資や慈善事業にも力を入れるようになった。

アレンの訃報を受けてゲイツは、「幼なじみで大親友だったポール・アレンを失い、とても心を痛めている。レイクサイド・スクールで出会い、マイクロソフトを一緒に立ち上げ、長年に渡り共同で慈善事業を行ってきたポールは、真のパートナーであり、親友だった。彼なしには、この世にパソコンは存在しなかっただろう。しかしポールは、ひとつの企業を設立しただけで満足するような人ではなかった。彼は人生の第二幕として、自分の知性と寛大な心を、シアトルをはじめ世界の人々の生活改善とコミュニティ強化へ役立てるために捧げた。彼はよく“役に立つ可能性があるなら、僕らがやるべきだ”と言っていた。彼はそういう人だった」と述べている。

ゲイツはさらに、「自分の人生を楽しんだポールは周囲の人々を愛し、愛された。彼にはもっと時間が必要だった。しかし彼のテクノロジーの世界や慈善活動への貢献は、今後何世代も受け継がれていくだろう。私はこれから彼を失った大きな悲しみを実感すると思う」と続けた。

Translated by Smokva Tokyo

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