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開沼博 インタヴュー
「自分に見えていない世界が何か常に想像しながら動く。そして、リアリティを見よ」

kainuma 01 開沼博 インタヴュー「自分に見えていない世界が何か常に想像しながら動く。そして、リアリティを見よ」

福島・いわき市出身、27歳の若き社会学者。2006年に福島でフィールドワークをスタートし、震災前から地元の声を拾い続ける。 歴史的経緯と社会学的考察を踏まえ、この男は“フクシマ”を、原発問題をどう見るのか──地元民として、そして社会学者として。

——3・11前から書かれた著書『「フクシマ」論』が、福島の原発事故を受けて反響を呼んでいます。今、この本が社会の中でどのような機能を果たしてほしいと思っていますか?

「原発に対して、周辺住民は『東京電力が大丈夫と言っているから大丈夫だろう』というような、ある種の信仰のようなものを持っていた。それを拙著の中では“信心”と表現しています。その信心の対象が、新たな何かに移り変わるだけで物事が処理されてしまうことが、いちばん危険。具体的に言うと『忘却して、反復する』ということです。その構造を繰り返さないために、読まれてほしいなと思っています。それから僕は、“植民地論”をどうしても出したかった。『国内であろうと(中央による地方の)植民地化が進んでいる』ということです。中央は地方に原発を建設し、エネルギーを得る。地方も経済的恩恵を受けて、両者の間にある種の共依存関係ができている」

——この連載のタイトルは「人間性を守る」です。原発とともにある程度豊かな生活を維持することと、原発をなくして貧しいかもしれないけれど心満たされる生活をすること、どちらが結果として人間性を守ることにつながるでしょう?

「知識人たちは、みんな単純に後者を言うと思うんです。『心の持ち方を変えて』みたいな。でも、それは『できるんだったらしとるわ』という話で、お金を持っている人からできてしまう状況もおそらくある。その問題は放置できないのでは、というのが自分の立場です。『電気使わない生活すれば原発いらないじゃん』と言う人もいるかもしれませんが、それも企業や官庁で大きな単位の節電をしてきたうえで成り立つわけで、自分は本当にできるのか。ロウソクで生活できるのか。どこか“他人事”という感じで、自分から切り離されているところが、事の本質にあるのかなと思っています。僕はこの切り離しが、近代化のなかでできてきたと思っています。いろんなところにあった自給自足の共同体をグワッと集めて、“国民国家”にするのが近代化。そのなかで分業体制ができた。それはある面では合理的、効率的に働いて経済を成長させ、民主主義をつくるような“正”に動くこともあるが、やっぱり“負”の部分として“他者からの切り離し”が生まれてしまうと」

——どちらの生活を選ぶかは、難しい選択です。

「非常に難しいけれども、そこは自分たちで選びとっていく必要があると思います。今は選びとる前に『なんとなくこっちかも?』というところで思考停止して、いわゆるロハス的な方向にいってしまう傾向がある。原発だってもともとは、『二酸化炭素出さないから、エコでなんとなくいいな』という、それはそれでサステナブルな思想に乗っかっていたんですね。そこをちゃんと認識している人が、今どれだけいるのか。反資本主義的だと思っていたものが実は資本主義的だった、という状況は原発が非常に象徴的だと思うし、そこには気を使わなければなりません。“原発安全神話”は嘘ですが、同時に“脱原発神話”も危ういかもしれない。神話を信じられればみんな救われる、みたいな部分が出てきた瞬間に、足元をすくわれるのがこれからの時代なのかな、と。日本がまだ成長時代にあったなら、そうでもなかったかもしれませんが」


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